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地方のどこに惹かれているのか。考えに考え抜いて見えてきたこと。


先日、ある企業の面接を受けた。
その企業の人事の方は、すごく話しやすくて、面接ではありのままの自分を出すことができた。面接も終わりに差し掛かっているとき、人事の方に言われたことが、ずっと頭に残って離れなくなった。


「そんなに地方が好きなのに、地方で働く選択肢はないのですか?」


人事の方が、なぜこの質問を投げかけてきたのか…
面接中の発言を振り返ると、一つのエピソードに対して、必ず「地方」というキーワードが入っていた。


確かに、地方創生やまちづくりには興味がある。でも、その興味を原動力に変えて、何か行動してきたかと言われると、何もしてきてない。
「地方の何を知っているの?」と投げかけられると、心臓がドキドキする。
何も知らない自分を知っているから。


本当に地方に興味があるの?どこに魅力を感じているの?
この問いをずーーっと問い続けた。

問い続けて、わかったことは、
自分は「地方」に対して、憧れや羨ましさの感情を抱いているのだということ。


「地方」に初めて触れたのは、大学一年生のときだった。

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行先は、熊本県南小国町で、ケーブルテレビ会社で二カ月間の住み込みインターンに参加した。インターンをしているときに、町民が「ここには何もない」と言って、殻に閉じこもってしまう場面に何度も遭遇した。
何もないことはない。それに、何もないと言いながら、このまちが大好きという気持ちがあふれ出ているのを感じる。好きな子にちょっかいを出す男の子を見ているような気分になる。
好きなこと、ものがある。話し出したら止まらないほどの、熱量がある。
きっと、その姿に憧れや羨ましさを抱いたんだと思う。


働いている大人たちが、かっこいいと思ったのも、このときだった。

精神をすり減らしながら働いている父や就職浪人が原因で壊れかけた姉を
見てきたために、働く=辛いのイメージを強くもっていた。
だからこそ、「地方を盛り上げたい」という熱い想いを持ちながら、頑張っている大人たちは、キラキラして見えて、強い憧れを抱いた。


きっと自分にとっての「地方」という存在は、
働く=辛い
から形成された黒い膜が取り除かれたときのことを、思い出す存在なのかもしれない。


自分には、この場所や特産品が好き!や地方のこういう課題を解決したいという、強い想いがまだない。強い想いが持てない自分がダメなんじゃないかと思ったときもあった。けど、他人の「好き」にお邪魔しながら、見つけていけたらいいなと思う。そして、自分の転機となった「地方」に恩返しの気持ちを込めて、何か関われたらいいなと。



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