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知らない恋人【4】

忍の一字で生きて来た母

手術を前に父は
ちゃんと話そう…
と母と向き合った。

母に寄ると、
「どうしてもお父さんは大事だとか愛があったとか言わないのね!
アタシは説明なんか聞きたくて言ってるんじゃないのに。
いつも言わないじゃない、だから分からなくなったって言ってるのにっていったら、やっと言ってた」
…だそうだ。
なんと言ったのかは聞かなかったが、母は満足した様だった。
そして、
「この前の朝ね、今まで聞いた事もないような優しい言い方で
ちゃんと眠れた?ってお父さんが聞いたの!あんな言い方、出来るんだなってびっくりしたくらい。やっと幸せだなと思ったよ」

って、乙女かっ!!

あたしゃ違う意味でビックリだよ!
50年も腹に溜めて来た怒りはどうしたっ?!50年だよ?
私だったらひとこと、ふたこと優しい事言われても
(はぁっ?今更帳尻合わせかよ…そんな程度で許せるかっ!!)
とか脳内で毒吐いて、シレーッとトイレとか行っちゃいそうだが
母はたった一言でいとも簡単にハッピーに!
女子ってそういうものなのでしょうか…。
アタシ、わっからなーいでーす!

父は父で、
「病気に貰ったチャンスだし、お母さんには今まで頑張って貰ったから…」
とか言い出してるし…。

人間、変われば変わるものですね(ボーゼン)

やはり、黙ってちゃダメなんだなぁ。
言わないと分かり合えないのが男と女なのかもね~。

手術が無事に終わり、抗がん剤は使うがキツいものでは無いとの事だったので私は多少予定を遅らせたもののタイへ。
妹や娘達を始め友人達はLINEでいつでも連絡を取り合えるからいいけれど、父も母もガラケーなので手紙を書いた。

術後に始まるという抗ガン剤を恐れず、副作用や不快症状は全てドクターに相談していいのだからと。怠かったら休む、言いたいことは全部伝えるようにしてストレスを溜めないように過ごしてねと。
タイにありがちな象のイラストのコースターを同封して。

母から来た返事には、
「お父さんは、私が今まで知らない、新しく出逢った恋人のように
私の回復に向けて行動してくれています。治ったらこれからが楽しみです。」
と書かれていた。

「…そうですか…」
私は思わず声に出して言った。
愛ってすごいな…と思って。

妹にLINEで
「お母さんがお父さんを知らない恋人みたいとか言ってるんですけどー!
仲良く治療に向かえて良かった(笑)」
と送ったら
「なんだか出掛けたついでに焼きそば買って来たり、様子を聞いたり、お母さんにを気遣ってる様だよ」
と。

あぁ、なんとなく分かるなと思った。
自分がそこに存在していない用事で出掛けたヒトが、自分を思っておみやげを買って来てくれるって嬉しい。
例えそれが屋台のやきそばでもね!

誕生日とか記念日とかそれを期待させる日ではなく、ふらりと出た何でもない日にも自分を思い出してくれたというのが母は嬉しいのだろうと。

今回の件でつくづく話す事の大切さを知った。

長年夫婦をやっていると言わなくても分かる部分は増える。
それは良くも悪くも。
言っても分からないだろう、言ったところで喧嘩になるなら面倒だから黙って流そう。そういう風に諦めて行く事が増え、期待しない、諦めたと言いながらも、本当は分かって欲しい、気づいて欲しいと思っているから、態度や言葉がツンケンしたりして尚、空気が悪くなる。
かといってどちらも、自分から「こういう空気はイヤだ、仲良くしようよ」とは言いたく無い様なで、なんとなーく微妙に意識はしつつも、その壁は破れない。
我慢が増えれば増える程、その壁は厚くなり、ちょっとやそっとの起爆剤では大きく風穴は開けられない。
寂しさや不満はいつしか呪いに…となりかねない。

母の場合、50年という長い沈黙があった後の大爆発だったので、『ソトヅラはいいが妻に気の利いた事を言えない父』の気持ちを大きく動かしたのかもしれないけれど、何よりも手遅れではなかったというのが驚きだった。
手遅れというのは母の気持ちの方ね。
母は素直に父の気持ちを受け取って喜べるヒトだったから、パンッ!と切り替わった。
50年もないがしろにされたら呪いに変わっててもいいくらいだよね、フツー(笑)

手術直後、母は自ら痩せてしまったとやたらに言っていたのだけど、妹に聞いたところ、ドクター曰く「全く問題のないレベルの痩せ方」…だそうで、元々丸っこかったのが幸いし、痩せて健康的になったようだと笑っていた。
体調も良く、散歩も行っているくらい元気になったと妹に聞いた。

よしよし、その調子!
50年越しの
知らない恋人のチカラを信じたい。

〈続く〉

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