究極でもない選択?
質問です。
『ものっすごく美味しい料理を、
ものっすごく嫌いな人と食べる』か、
『ものっすごくマズい料理を
ものっすごく好きな人と食べるか』
…の二択を迫られたら
どちらにしますか?
(※ちなみに、随分前にラジオで募集してた質問だと思う…結果まで聴いてなかったけど)
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私は、嫌いな人が目の前にいたら美味しいものすら受け付けなくなる自分を知っているので即答でマズい料理を選び、
「マズいんだから残していいよね?」
って思う。
実際に、とんこつラーメンを食べに行った時に、
とんでもなく薄いスープで、味付けを忘れてるのかと思う様なラーメンが出て来た事があった。
ツレと、これは味がついてなさ過ぎではないのか、何か入れ忘れたのか、忘れたにしてはうっすら味はあり、足すとしたら何を足すべきかとしばし激論を交わし、初めて行った店なのでこれがスタンダードなのか分からぬまま帰って来た事があった。
この話しを聞かせたところ、別の友人は、
「これって、なに味ですか?って聞けば良かったのに!」
と爆笑していた。
まだ若かったので、上手に嫌味も言えず黙って帰って来たものの悔しさは残った。
それはさて置き、
食べる事が大好きで、美味しいものを作ってくれる次女は、即答で
「美味しい料理だよ!
すんごく美味しいんでしょ?
嫌いなヤツなんかもう目に入らない!
黙って美味しく食べて、すぐ帰る!」
と答えた。
…マジで?
そうなのか。
次女は繊細オブ繊細で集合意識に持って行かれがちな女子なのに、『美味しいもの』が最優先とは驚いた。
食べ物に重きを置いている人にとってみれば、目の前のニンゲンてどうでもいいの?
皆さんはどうですか?
美味しいものを食べて、美味しいものにのみ集中し、脳内がお花畑になる現象を味わった事がないので全く理解できなかった。
美味しいものの前では全ての情報が料理に関するものだけに塗り替わるって事?
なにを使っているのか、素材、スパイス、調理方法とか?
私は美味しいなら美味しいで『いいね!』と思うだけなので、向かい側のみならず、周りの客の組み合わせやら会話まで全部情報収集が出来ちゃうのだけど…。
周りが見えなくなるほど美味しい…。
向き合ってる嫌いな人が、見えなくなるくらい美味しい…。
どうなんだろう。
分からぬ!
では、
またね!
しましまの部分が面白い雲。
味わうのは料理だけではない!と思って。