折ったよ 切ったよ 端午の節句
端午の節句に金太郎と熊がお相撲をしている折り紙をつくろうと考えていました。
ですが途中で気が変わって熊と鯉のぼりならぬ鮭のぼりの折り紙と切り絵になりました。
熊の折り方を考えている最中にこの本を読んでいました。
「植物と叡智の守り人」ネイティブアメリカンの植物学者が語る科学・癒し・伝承
築地書館 ロビン・ウォール・キマラー著 三木直子訳
この本の中で鮭の遡上についての章があります。かなりざっくりまとめてみると
「ネイティブアメリカンの人々は川に戻ってくる鮭に敬意を払い、迎え入れる儀式を行なった。必要な分だけを狩り決して取りすぎなかった。鮭は人だけでなく川沿いに住む全ての生き物に恵みをもたらした。熊や鷲のお腹を満たした。残った屍は他の小動物や虫を満た。そして最後に土に還り肥料となって森をそだてた。
森の土が豊かになればその養分は川へ流れ出て海へ到達し、海も豊かになった。そして翌年に帰ってくる鮭を育てた。狩る側がちゃんと自然と繋がっていれば、全ての恵みは繋がりまた自分たちのところへ豊かさが戻ってきていた。」
このようなまとめ方で大変恥ずかしいのですが、本文はとても美しい文章で綴られています。
そして、熊を作ろうとしていた私はこの話に大変心惹かれて、熊に鮭の鯉のぼり(鮭のぼり)を掲げてもらうことにしました。
熊は立体折り紙。体と胴体の2枚の折り紙からできています。鯉のぼりは切り絵。吹き流しにはイカに登場してもらいました。そして地面には水紋のように渦巻く菖蒲を並べました。
先程の要約文章はすべて過去形になっています。
ならば今現在は一体どうなっているのか、さらに本では話が続き心が痛くなってきます。
大地も空も海も、そして全ての生命は繋がっている。私はどのようにどこへ繋がり、どのように命の循環に加わることができるのか?
難しい課題です。