同族嫌悪に苦しんだ記憶
最近、「繊細さん」という言葉をよく聞くようになった。
色々意見はあれど、「繊細さん」に分類されるであろう1人として私は、どちらかというとこれは喜ばしいことのように感じている。
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私は、自分の「周囲のさまざまなことに敏感で、すぐ気疲れする」ところがずっと嫌いだった。
今は、昔ほど「耐えられないほど嫌い」ではないし、むしろ「自分の好きなところ」と表裏一体でもある面だと感じてもいる。
しかし、学生時代はほんとうに、この性質があっていいと思えたことはほとんど無かった。
歳をとるにつれて、楽になっていったように思う。
だから、小学校低学年の頃がいちばんつらかった。
まだ諸々分別のついていない同級生たちとパッキングされた教室では日々、無秩序に、無慈悲に(恐らく彼らからすればただ無邪気に)、言葉が飛び交う。
人一倍敏感な私は、そういった言葉に常に傷ついた。
正直、彼らの言動は、私からすれば正気の沙汰とは思えなかった。
だから、かなり浮いていたと思う。
誰と話していても、嫌な思いをするので、誰と仲良くしていいのかもわからなかった。
「なぜ、そんな荒々しい言い方をするのか」
「なぜ、平気で嫌なことを言うのか」
「なぜ、人が嫌な気持ちになっているのが見てわからないのか」
担任にも恵まれなかった私は、担任に対しても常にそう思っていた。
それでも、私自身もまだ幼かったわけであり、そうした刺激に耐えられなくて、というより、何でわからないのかと悔しくて、よく教室で泣いた。
すると、また追い打ちをかけるように色々と言われる。
その頃、私を可愛がってくれていた祖母が亡くなり、死というものを目の当たりにした私は、気がおかしくなるほど死が怖かった。
毎日を生き生きと過ごせていたら、流れる日々の忙しさと騒がしさで、この怖れの気持ちも、カフェオレにとけてゆく砂糖みたいに見えなくなっていったのかもしれない。
でも、学校では、嫌なことばかりある。
なんだか毎日が、ガタガタした暗い道を、ボロボロの電車で走っているみたいだった。
すぐ泣く私を、毎日クラスメイトはバカにしてくるし、よく意味のわからない理由で責められたりもした。
自分がスクールカーストの最下位層にいることを実感した。
普通に馴染めない自分を救ってくれたのは、勉強だった。
だんだんと、自分の感情をころして、抑えることができるようになった私は、バカにされたくない一心で勉強した。
結果を出すにつれ、周りの目が、変わっていくのを感じた。
だから、中学時代はなんだかんだ楽しい瞬間も増えてきたし、高校は楽しくはなかったけれどまぁなんとかやっていけた。
問題は、大学だった。
大学でも、もちろん成績とかがないわけではないけれど、高校までのそれとは全然違うし、とにかく、「私」という人間を、よくわからないふわふわしたものさしではかられる。
どんな場でも人気があるのは、愛想が良くて明るいか、顔がすごく美人か、その両方か。
その両方なんてなかなか居ないだろ、と思いがちだが、それが結構いる。
そういう現実を目の当たりにしたとき、今まで自分が築いてきたものは自分らしさでも何でもなくて、ただの鎧だと思った。
自分の軸など築いてなどいなかったことに、気づいた。
太刀打ちできないのだ。
正しく言えば、太刀打ちなとしなくて良いという事実に、全く気づかなかった。
そういう彼女たちにも、きっと彼女たちなりのぐるぐる、どろどろがあったのだろう。
それでも、実際問題うまくやれている彼女たちを見て、私は自分もそうなりたいと思った。
顔はもちろん変えられないので、いつでも笑顔を絶やさず、元気で、明るく、過ごして、そして、
くたくたに疲れた。
こんなこともあった。
あるとき、友人の友人ということで仲良くなった、Aさんという女の子がいた。
共通の趣味があったこともあり、何度か3人で遊んでいるうちに、もう共通の友人がいなくともAさんとも普通に遊ぶようになった。
実は、Aさんにも自分と似たような性質があるのではないかと感じていたため、意を決して、それでもさすがに少しだけ、小学生の頃の話とか、毎日ちょっと生きづらさを感じることとかを話した。
初めて他人に話した。
しかし、Aさんは同族嫌悪をするタイプの人だった。
話をしているときは、「私もそう思う」「私も同じタイプの人間だもん」と聞いてくれていたものの、次第に距離をとられるようになって、ある日たまたま道で見かけたときには、私(たち)と全く違うタイプに見える子と楽しそうにわらっていた。
小学生の頃、体育の授業でペアを組むときはいつも余りものになってポツンとその場に残されていた自分と、成人してもなおこうして余りもの側にいる自分が重なった。
この日から、私は自分の性質がますます嫌いになった。
どうして、こんなにも世間から受け入れられないほうの性質を身につけてしまったのだろう?
自分はこんなにも毎日ぐるぐると色んなことを考えて、思慮深く一つひとつの言動に気をつかって、それなのに、どうしてこっち側なんだろう。
もちろん、明るくしている人にもつらいことはあるのだろう、だけど、平気でポンポンものを言う人たちも、人の気持ちを考えない人たちも、私よりみんなわらってて、どうしてあちら側ばかり良い思いをするのだろう?
人の幸せが、報われるということが、考えた量に比例すればいいのに。
結局、もうA子さんと前みたいに遊ぶことはなかったし、それから、なんとなくみんなみたいに笑っているような感じで日々を漂っているうちに、卒業した。
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社会人になって、中高生と関わる仕事をし始めて、私は人生でいちばん、こんなにも嫌ってきた自分の性質に、助けられる思いを経験している。
いろんな人がいる。
人と接する仕事をする以上、細心の注意を払わねばならない。
しかし、異常なほど細かすぎる自分のフィルターを通せば、よほどのことがない限り、きっと誰をも傷つけない。
もしかしたらこの性質特有のものかもしれないが、自分には子どもの頃の記憶が、色々と詳細にある。
だから日々の仕事の中で私は、子どもの頃の自分に語りかけるつもりで接している。
あの、外界で目に映る全てが気に触る思いだった私に。
ずっと持て余してきた、邪魔にしかならなかった性質も、あの頃バカにされたくなくてたくさん学んだことも、全て日々活かされている。
しかし、やはり異常に気をつかいすぎるがゆえに、日々の疲れも異常だ。
でも、不思議と悪い疲れではない。
動物園のような教室で、あるいは自分ではないものになろうとして、くたくたに疲れていた頃とは、同じ「疲れ」というネーミングで括っていいものか、と思う。
たしかに、この性質がなければ、もっとバイタリティ溢れる日々を送れるのに、とも思う日もある。
実際、私のように細かすぎる神経を持っていなくても、立派に人を導きケアしサポートしている素晴らしい人もたくさんいる。
そういう人に、なれたらよかったのかもしれない。
でも、きっと自分にしかないルートがあるのだ。
自分ではない誰かになることでは、それは生かされない。自分のまま生きてみないと、生かされない。
だから、自分の性質とはうまく折り合いをつけて、良くない方向に暴走しそうなときは、そっと自分をいたわってあげよう。
そうすることでしか、不器用にしか生きられなくても、それも自分らしさだと思うから。
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