2023年4月16日(日)に行われた上映後のアフタートークの一部が公開されました。ゲストは『2/Duo』『風の電話』などで国際的にも評価の高い作品を監督した諏訪敦彦監督と、『ある惑星の散文』『ナナメのろうか』など近年オルタナティブな映画作品を輩出する深田隆之監督にお越しいただきました。
監督たかはしは東京造形大学在学時、諏訪敦彦監督の生徒でした。また深田監督は大学の先輩でもあります。深田隆之監督作『ナナメのろうか』では助監督も務めています。「コメディのシネマ・ヴェリテ」と話す本作の魅力をお話しいただいています。こちらではゲストの来歴や、引用された用語などをまとめていきます。
▷諏訪敦彦監督
▷深田隆之監督
シネマ・ヴェリテとは
シネマ・ヴェリテについて、ブリタニカ国際大百科事典にはこのようにあります。
ただ、このテキストだけだと「手持ちカメラ,同時録音,即興的撮影,素朴な編集という飾りけのないドキュメンタリー映画のスタイル全般をさす」ことしかわからず、大枠を掴むことができません。もうひとつ踏み込んだテキストを引用しましょう。『現代映画用語事典』から抜粋引用したとある「yutabou85」氏のはてなブログにはこのようにあります。
このテキストからわかることは
・手持ちカメラや同時録音によって取材対象の人間に”真実”を語らせる。
・インタビュー形式により人間をありのまま生々しく捉える。
・撮影対象者にインタビューを行い、その返答反応を捉える。
上記の3点かと思われます。つまり撮影していること自体を隠さないということがわかります。それは映画『上飯田の話』におけるバナナの木の歴史を語るおじさんへ向けられたカメラにおける、「演技をしている」ということ自体も隠さない姿勢に見られます。
また前出したブログにはシネマ・ヴェリテに対比する形でダイレクト・シネマ [direct cinema]と呼ばれる手法にも言及しています。こちらは簡単に説明してしまえば「カメラの存在を消すように務める」点にあるとあります。
ただし70年代に入るとダイレクトシネマにおいても、取材対象に関与する部分を取り入れたと言われています。
シネマ・ヴェリテとダイレクトシネマの差異に関してのニュアンスはこちらの動画が理解の手助けをします。
この動画は1961年公開の映画『ある夏の記録』(ジャン・ルーシュ監督)の作品について言及したインタビューです。簡単に要約すると「アメリカのダイレクト・シネマは「目に見えるものが真実」というスタイルで、フランスのシネマ・ヴェリテは「映画中に真実がある」という考え方。」であることに言及しています。このあたりのニュアンスは前出したはてなブログの言及に近いものがあります。
このような手法は現代のドキュメンタリーでも多く見られ一般的となっています。しかしこと劇映画における演技において、カメラに映った町民が、
・役割を請け負っていること
がコメディタッチで、観客にあけすけな形で伝わる点において、映画『上飯田の話』はフィクションにおけるシネマ・ヴェリテ的な一端を見ることができ、本作のユニークたる所以かと思われます。
もちろんただ演技していることが「観客にあけすけな形で伝わる」部分だけだと映画のバランスは崩れてしまいますが、本作は俳優たちによるフィクショナルな部分がその作品世界の質を担保している点(諏訪さんの仰った、映画におけるアンコントローラブルな部分とコントロールする部分をうまく引き分けに持ち込んでいる、という言及にも通じます)が本作の特徴のひとつであることは間違いないでしょう。
ちなみにジャン・ルーシュ監督『ある夏の記録』のwikiをみると、映画作品としてとてもユニークな構造をしており、映画の歴史に深く触れることができます。
ああ、バナナのおじさんはとても誠実な演技だったのかもしれない…
テキスト:ガブリシャス本田