「水引の歴史」をいらすとやさんのイラストで振り返ってみる
こんにちは! 紙単衣の水引デザイナー小松です。
今回は日本の伝統工芸として知られる「水引(みずひき)」の歴史を、フリー素材サイト「いらすとや」さんのイラストとともにほのぼのと振り返ってみたいと思います。
●日本の贈答文化のはじまりは、小野妹子さんら一行
飛鳥時代に遣隋使・小野妹子さんら一行が隋から帰還した際に、答礼使が持っていた宮廷への贈り物に航海の無事を祈って紅白の麻紐が結ばれていました。以来、宮廷への献上品には紅白の麻紐を結ぶことが習慣になったと言われています。(諸説あり)
●寺子屋でも習っていた、相手を想い、包んで結ぶお作法
贈りものを包んで紐で結ぶ朝廷のお作法が、武家に伝わり、江戸時代には寺小屋で教える一般教養になりました。普及の過程ではさまざまな流派ができたため、今でも地域ごとに違いがあります。使う紐が麻紐から和紙でできた水引に変わったのは室町時代ころと言われています。
教養として作り方を身につけていた当時は、各家庭で必要な時に、相手を思いながら心を込めて紙を選び、包み、水引を結ぶことができました。しかし、第2次世界大戦後は、学校で作り方を習わなくなったため、既製品のご祝儀袋や店舗のラッピングサービスが浸透していきました。
● 「水引」の名付け親は、平安貴族たち
平安時代に貴族たちは和歌を楽しむ際に、廃品の麻紐(クレナイ)を青や黄、紫に染めて、詩歌集の綴じ紐として使っていました。その美しさがまるで「鴨川を百花(ひゃっか=色々な花々)が水に引かれて流れていくようだ」とのことから「水引」と呼ばれるようになったと言われています。(諸説あり)
●水引のもととなった有名ブランド「文七元結」の話
江戸時代、長野県飯田地方は良質な水と温暖な気候で原料となる植物が育ちやすく和紙産業が盛んでした。当時、髷を結うために使われていた白い紙紐「元結(もとゆい/もっとい)」を製造していましたが、美濃から招かれた紙すき職人の櫻井文七さんが光沢ある丈夫な元結を作ることに成功し、江戸に卸問屋を設けると、「文七元結」としてたちまち全国に名を知られるブランドに成長しました。
しかし、明治時代の断髪令により、元結はお相撲やかつらなど限られた業界でしか使われなくなってしまったため、ほぼ同様の製法で作られる「水引」を主力とするようになり、現在では全国の70%の「水引」が飯田市で生産されています。
●さいごに
以上、簡単ですが水引の歴史をご紹介しました!
教科書で習った小野妹子さんと私たちが繋がっているエピソードや平安貴族の発想力はとても面白いですね。
今回ご紹介したほかにもさまざまな説がありますが、いずれも水引が何百年も前から続いてきた日本独自の産物であるということには変わりありません。これからの100年後、200年後も続いていくように大切にしていきたいですね。
ちなみに、「文七元結」は三遊亭圓朝の創作落語の題名になっています。Youtubeにいくつか動画が上がっていますので、興味のある方はご覧になってはいかがでしょうか。
それにしても、堅苦しい話も「いらすとや」さんのイラストを交えると和やかになりますね。フリー素材だなんてありがたいです。