酒と餅の良い関係?
これは、江戸時代後期の俳人、建部巣兆(たけべ そうちょう)の句集『曽波可里(そばかり)』の序文の一節です。序文は江戸時代後期の絵師で「琳派(りんぱ)」の絵師、酒井抱一(さかい ほういつ)が手掛けています。
建部巣兆は、書家の山本龍斎の子として日本橋に生まれ、寛政年間初頭に、千住の藤澤家に養子入りした後は、足立の千住関屋の里に、秋香庵という庵(いおり・小さな家)を構えました。そこでは、千住連という、主に千住の商家の旦那衆により構成された俳諧集団を率いていました。
ユーモアがあってお酒好き、そして来客を好んだ巣兆は、江戸や全国各地の俳人・文人たちと盛んに親交を結んでおり、その中には亀田鵬斎(かめだ ほうさい)や大田南畝(おおた なんぽ)、そして、先ほどの『曽波可里』の序文の作者である酒井抱一など、江戸の名だたる文人たちも含まれていました。
姫路藩主酒井忠以の弟として生まれた酒井抱一は、文芸を愛する酒井家の血をひき、絵はもちろん、俳諧、和歌、連歌、国学、書、さらに能や舞などの諸芸を嗜む文人でした。
意外にも、文人には珍しくお酒を飲まなかった抱一。それでも、足立千住で開催された酒宴「千住の酒合戦」を見物に訪れるなど、のんべだらけの文人ネットワークに積極的に参加していきます。その様子が最もよくあらわれているのが、冒頭にとりあげたこちらの序文なのです。
巣兆が句作をして抱一に披露をすれば、抱一もまた巣兆に句を返す。相手が詠んだ句に対して、巣兆はけなし、抱一は笑う。また互いに絵師である二人は、一方が絵を描けばもう一方が題や賛を寄せる。そして巣兆が酒を飲めば、飲めない抱一は餅を食べて付き合った。以上が序文の内容です。
『曽波可里』刊行時には、巣兆は既にこの世にはなく、生前の巣兆との交遊を懐かしむように書かれる抱一のこうした序文からは、抱一と巣兆の画俳の交換を通じた自由闊達なやりとりがみてとれます。身分や嗜好は違えども、巣兆ほか文人たちとの交流は、抱一にとって大事なものだったのでしょう。
お酒が飲めない抱一にとって、大酒飲みの巣兆は「ちょっとついていけない…」と思う場面は沢山あったはず。それでも一緒に居て、巣兆亡き折にはその死を悼む。この序文は、二人の強い友情も感じ取ることもできますね。
ちなみに、「のんべ=酒を飲む」に対して、「お酒が飲めない人=餅を食べる」は、江戸時代の共通認識であったようで、その結果、このような浮世絵も登場したりしています。
筆者はどっちも好きです。
巣兆のことやその作品等はこちらの記事でも紹介しています。↓
「千住の酒合戦」についてはこちら↓
巣兆と抱一との関係性もマンガになっています↓
「ビビビ美アダチ」は、足立区役所Twitterほか、足立区立郷土博物館HPにて、月2回ペースで更新しております。
※URLは2021年10月19日現在
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