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シニア心理考察の大原則
シニア心理を想像する難しさ
シニアの心理を考えるのは難しい。なぜなら基本的に、現在働いている人はシニアでない場合が多く、とくに企業でマーケターや新規事業をやるような人には非常に少ないから。基本的にシニアになったことがないから、気持ちを想像することができないのだ。
また、シニアと長く、深く接している職業で就労者が多い産業は医療と介護だ。そこからは要介護者とのコミュニケーションの話だけが聞こえてくるため、介護前の、つまりシニア3,000万人中2,400万人を占める元気なシニアについては、消費額や行動調査などの定量的な分析はできても、生活や気持ちについての情報は、非常に限定的にしか得ることができない。
シニア心理考察の大原則
それでもシニアのお気持ちを考える上で、多くの方と話してきて感じる原則がある。
1. 人は年を取っても変わらない
2.環境による影響に思いを馳せる
3.上記原則は、1を2に優先させる
1.人は年を取っても変わらない
自分は18歳の時に、30歳になる頃には自分も大人になり、この胸に起こるよく分からん衝動や、異性を前にすると緊張することや、みみっちい嫉妬心などはなくなるのではいかと考えていた。30になって18の頃考えていたことを思い出し愕然とした。全く成長もしなければ変化もしていない自分がそこにいた。成長したのは下腹くらいだ。40になれば、そうは言ってももう少しマシになるかと思ったが、全くそうはならなかった。下腹はさらに成長した。
もちろん、できるようになったこともある。18の頃は人見知りだったが、今は初対面の人と2人でランチにいっても楽しく過ごせる。勢いでコンクリート討ちっぱなしの賃貸マンションに入り、冬に室内で吐く息が白くて愕然とすることも、(たぶん)もうしない。ただ、そうしたこととは別の、根本的な、「何をしたい、何が好きか、何に動かされ、何を大事にするか」みたいなことや、人間としての大きさや怒るポイントや閾値など、大枠が変わらないのだ。要するに、三つ子の魂百までとはよく言ったもので、魂は全く変わらないし、人間だいたい、魂でできてる。
どうやら人はそんなものらしい。結局18歳のまま、60になり70になるのだ。だから元々優しい人であれば優しいおじいちゃんになるし、元々怒りっぽい人なら怒りっぽいおばあちゃんになる。「高齢者は〜である」という文章は、基本的に「人間は〜である」に置き換え可能だ。
だから、コミュニケーションで一番大事なことは、「高齢者扱いしない」こと。自分と同年代と話すのと同様に興味を持ち、ただしちょっと尊重し敬語で話しをするのが大原則となる。
2、環境による影響に思いを馳せる
しかしながら、人は環境によって精神に影響を受けるのも事実。そして加齢は社会的、身体的に大きな影響を及ぼす。社会的に、今までの地位を失い尊敬されなくなったり、家事をする相手がいなくなり役割を見失う。近しい友人が年に2.3人ずつ減っていく。
身体的には言わずもがなで、今までできたことができなくなり、疲れやすくなり、見た目が自分の想像からかけ離れる。人によっては一生付き合う病気を持ち、死への不安が離れなくなる。死は確実に自分に近づいてきている。
例えば30でも40でも、今の自分が風邪をひいて骨折して、しかも仕事でミスを指摘されて給与の査定が落ちて、さらに親友が亡くなったばかり、という状況だと思ってほしい。そんな状況になれば、食欲もなくなる、新しい趣味を始める気力もなく、イライラが募って怒りやすくなる・・・容易に想像がつく。
いわく、「シニアが逆切れする」「新しい機械を使わずに諦める」「偉そうにふるまう」「若者のいう事を聞かない」これらすべて、環境で説明がつくことなのだ。(もっとも「若者のいう事を聞かない」は当たり前で、30歳は20歳のいう事を聞かないし、20歳は10歳のいう事は聞かない)
逆にそんな状況でも常に新しいことに挑戦するシニアの方も多く、それは本当にすごいと、毎回思う。
3.上記原則は、1を2に優先させる
一般的に、シニアの心理を考える時には1を飛ばしていきなり2の表面的な理解から入る。要は、1がないと2というよりも、ただ弱い、わがまま、短絡的、といったレッテル貼りの評価になりがちだ。
特にシニアと相対する時に2への配慮を過剰に見せることは、むしろ本人の自尊心を傷つけることが多い。コミュニケーションにおいて十分に配慮はしつつも、1のみを前提として会話するくらいがちょうどいいというのが、今までシニアの方と1対1のコミュニケーションをとって感じること。
なによりそうしたコミュニケーションの方が、得るものが多く、自分が楽しい。そこにこそ、人と人の真のつながりが(あるとするならば)存在すると強く確信している。