自己肯定感と謙遜

 日本人は謙遜が美徳という価値観を持っている人が多いだろう。謙遜することで更に周りからの評価は上がる。しかし、その謙遜の裏には何があるのだろう。

 僕は今まで生きてきて謙遜が美徳という価値観を信じてきた。謙遜という概念の全てを本気で信仰してきた。本気で自分はすごくないのだと思うようになっていた。この考え方で生きてきたため想像になってしまうが、本来謙遜とは自分がすごいと思ってもそれを表に出さない態度でいることなのだと思う。しかし僕はそれを履き違え、謙るという態度ではなく、本心から自分はすごくないのだと強く思っていた。それが周りからは「謙遜」という行動に見えただろうが、それは本質的には全く別なものである。これは上で書いた「謙遜という概念の全てを本気で信仰してきた。」というものではなく、謙遜という行動の一部を盲信し、ただの自己否定が美徳なのだと履き違えていただけなのである。その結果僕の自尊心はズタボロになり、人から褒められても全て裏があるのではないかと勘ぐり、何も見えなくなってしまっている。

 事実と違っていても自信があるという状態は人生をより良い方向に進めるためには必要だと思う。その根拠のない自信を徹底的に排除してしまった僕はこれからどう生きていけばいいのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?