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上町しぜんの国保育園園内勉強会アーカイブ05(青山まとめ)

上町も例にもれず、コロナだのなんだのがあり、なにかと7,8月とどたばたとしておりました。

職員の顔をみても「疲っ・・・」という感じ。
そこで今回は「子どもっておもしろい!保育ってinteresting!」というテーマで参加者それぞれにエピソードトークをすることに。
そう、無理にでも笑いたいときもあるものです。

それぞれのエピソードやそのあとの対話を以下にかいつまんで。
上町の職員は実名で、ゲスト参加の方はイニシャルで。


◎石上さん
最近散歩に行っていないから、散歩に行きたい。
「ねえ、畑に行きたいから行かない?」→「やだ」
一緒に行っていない大人と行きたくないよな~
じゃあ、何を楽しんでいるのだろう?
折り紙で遊んでいるから、「おうち作ろうよ」と言ってみると、「やる!」
こういうのが好きだろうな~と思うものを用意した。
→子どもの今やっている興味を知らないと大人からの一方通行になっちゃう
子どものことをみて保育をしないと。

◎板垣さん
テラスのプールでのこと。
子どもと一緒に盛り上がることはないかな?
自分が着ている服のポケットに水を入れてつぶす遊びをしていた。
→何がおもしろいのだろう?感触?感覚?
子どもにとっての「遊び」って?
自分の「やりたい」と子どもの興味関心ってどうつながっているのだろうか

◎井上さん
園庭に出た時に、靴が濡れて大泣きした
靴を干すことでやっと納得したのに、その後片足は裸足で遊びだす。
そして裸足の足は泥のなか…
→それでいいんだ~!

◎Nさん
職員が外部の仕事をするために、代わりに午睡に入った。
「Kさん(担任)どこいったの?」
そこから遊び始めちゃいそうな予感が広がる。
→でも関係性がないからなんて言おうかな?
ロッカーをずらして大きな音を出す子
「もういいかい?」とかくれんぼを始める非常勤さん
「もういいかい」を歌詞にして歌いだす子ども
→緊張していた気持ちが、子どもたちの突拍子もない発想に驚いた。

◎野﨑さん
夕方、テラスで沈んでいる子どもがいた。
その子を抱いてテラスを歩いていると、濡れたティッシュを投げつけてきた。
「え!なにこれ!」
「おしっこ!」
「え!?」
こんなやり取りをしていると他の子どもがどんどんやってくる。
それをくりかえしていたら、抱いていたみなとが笑っている。
そこからどんどん子どもが増えてきて、盛り上がっていた。
すると、1階から「誰だ、おしっことか言っているのは!」と石上さんに言われた!
→いつもおしっことか言っているくせに!!!

◎Iさん
お釜がはまってしまってどうしても取れない!
クラスで一番大きい子を連れてきたり、ジャンプして取ろうとしてみたり試行錯誤。
最終的に、鹿威しを鍋に落としてみた。
結局鍋はとれなかったけれど、面白かった。

◎Tさん
1歳児クラス
夕方(他のクラスと一緒になる時間)、30センチくらいの角材を持ってきて、笑顔で投げてきて顔面で受け止めちゃった。
→普段ダイナミックな遊びをしていたから、この人ならいけるだろうと思ったのかな?
“そうか、こうしたらTも壊れるか” “今日はためしてみよう”と思ったのかな?

◎Dさん
保育園に勤めて2年目の時
一斉保育、活動報告書を記入しないといけないなかで、アートっぽいことをしたい。
絵具を垂らすちょっとやってみよう!
子どもたちと一緒に楽しくて、いい作品ができた!
すると、部屋の隅に絵具が固まってすごくきれいなものができていた。
それに気づいたのは子ども
→大人が考えることはたくさんあるけれど、こういうのを見つけるのは子ども

◎分かれて話してみて出た話題
○ 音環境について
一斉保育での「音」が気になる。
3.4.5歳児が100人、大きな部屋をコーナーで区切った室内環境。
置かれたもので遊んでいる子どもとそこにいる大人
→誰かが叫んでいるわけではないのに、「うるさい」と感じる。
考えられた環境なのに、音が混合している。

〈青山〉
→35人超えると公共空間になってしまう感覚
 他人が出す音に対して頓着しなくなる
 緻密なコーナー環境も大切だけれど、音環境の配慮も大切、そしてそもそも保育の規模感を考えることも必要かも

○ 公共のルールはなぜあるのかな?
公園のブランコに乗りたいけれど他園の子どもが乗っている。
上町の子どもは「こうしたら?」「のりたい」と交渉していた。
あれこれやりとり子ども同士で話している。
でも、最後は他園の保育者が来て「変わりなさい」と言ってきた。
→公共のルールってどうして生まれる?
 保育者の意見が強すぎると面白くない。
 子どもって自分たちで結構交渉している

〈青山〉
・ルールの前にそこにいる人の都合不都合がある。
・匿名であることで難しいことが生まれる
・自分が自分を出さずに誰かに言って何かをしてもらおうという姿勢
・地域の前に、顔が見える隣近所の存在
・誰の都合不都合が分からないものが公共のルールになっている


◎ここまで聞いていて石上さんより
「子どもが面白い」と「保育がinteresting」の違いってなんだろう?
大人のことも面白がれること?
みな自分を出すのが怖い?でもそれはその人のせいではなく、教育や保育のなかで自分をだしてよかったと思える経験がないからかも
保育を通してその人の中身が出てくる
自分と出会うことが「怖い」

◎最後に、青山から
「保育の質」ってなんだろう?
以前同僚に「そもそも保育っておもしろい?」と問いかけたら、
「子どもは面白いけれど、保育は…」
子ども一般が面白いというよりも、その子ひとりひとりが興味深い
大人は自分のことを「おもしろくない」とか言うけれど、本当はおもしろいんじゃない?おもしろくない人なんていない。だってみんな子どもだったから。
自分が出た瞬間に、本当の意味で子どもと暮らすことができるのではないか。

◎次回テーマ
「学校教育と保育」
話題提供者 東京サドベリースクール 杉山さん
指針にしても教育要領にしても、国から出されている文書を読むと、
上町しぜんの国や、サドベリースクールは
その内容を満たしていると思える。

しかし、教育界や保育界のなかでは異端児になるのはなぜだろう?
上町やサドベリーと社会との段差はあまり感じられないのに、
「学校」や「教育」との段差は大きく感じるのはなぜ?

サドベリー教育からみえる風景を語っていただきます。

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