名作選7「おばあちゃんの梅干し」
真夏の炎天下のもと、汗も気にせず走り回っていた子ども時代。渇いた喉を潤すのはがぶ飲み麦茶と縁側に座って食べたスイカ。夜になると、蚊取り線香の香りの中花火をして、風鈴が聞こえる畳の部屋で寝た。そんな子ども時代の夏の思い出は、誰しも記憶のどこかにあるもの。
夏の思い出の中に出てくる食べ物もある。
おばあちゃんの家で食べた昼の定番と言えば、ぬか漬け、そうめん、梅干しのおにぎり。味噌小屋と呼ばれる離れがあって、そこで自家製の味噌を熟成させるのだと聞いた。大きな壺に入った梅干しもそこに保管されていた記憶がある。
壺を開けると、梅酢にひたった大きな梅がぎっしり入っていて、見るだけでつばが出てくる。梅干しは毎年漬けるから、熟成された年代物もあり、それらはお湯に入れて飲んだり、調味料がわりに使っていた。すべてに無駄がなく、何より家族の健康を守ってくれる祖母はかっこいいなと思っていた。
毎年漬けてくれていた大量の梅が、おばあちゃんが亡くなってから少しずつ食べ進めいよいよ底が見えてきた。市販の梅干しでも、自分で漬けた梅干しでもその代わりにはならない、唯一無二の梅干し。
梅干しは不思議なもので、同じように漬けても人によって味が違う。塩加減や天候などもあるだろうが、実は目に見えない何かが手から出ていて、それによって味が決定づけられるような気がする。その方の歩んできた人生の中で耕されてきた心の機微が、熟成されてまろやかになってそれが手から出ている気がしてならない。だから、若い人が作った梅干しと人生を重ねた大先輩が作った梅干しでは、経験値以上の味の差が出てしまうのではないだろうか。
つまり、作者が愛してやまない「ばあちゃん特製の梅干し」には、作者を元気にする見えない何かがこめられている。他では代替できない、唯一無二の梅干しなのだ。
切実に困っているようで、この状況を楽しんでいるような余裕さえも感じる。最後の一個になったとき、作者はどうするのだろうか。しげしげと眺めて、ちょっとずつ食べるのだろうか。思い切って口に放り込んで食べてしまうのだろうか。
いずれにせよ、最後の一個を食べてしまったあと「ばあちゃんの味」を再現するべく自分で梅干しを漬けてみるのかもしれない。梅干し漬けマスターのDNAが騒ぎ出すのではないか。
梅の時期には、おばあちゃんを想って梅仕事をする作者の笑顔が見えた。
このブログでは、「あの人との、ひとり言」コンクールの入賞作品の中からランダムにチョイスした名作たちを紹介して参ります。作者の心情に寄り添ったり、自分もこういうことがあったなと思い出を探してみたり、コンクール応募のきっかけにもなれば幸いです。
ステキな作品に、どうぞ出会ってください。
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