【私の100冊】No.4 不思議な世界はすぐそこに「さんしょっ子」安房直子
私のプロフィールとして、「私をつくってきた100冊」を選びました。
その中から順不同で本の内容、魅力、思い出などご紹介しております。
私の100冊
12.さんしょっ子
中学時代、「童話」の魅力に目覚めました。
いわゆる幼年童話でもなく、剣と魔法のファンタジーでもない「童話」。
自分が生きる日常生活と隣り合わせの不思議な世界、ほんの少し心を開けば私にも見えるかもしれない世界を描く童話が大好きでした。
立原えりかさん、安房直子さん、あまんきみこさん、柏葉幸子さんがその中でも四強でした。その中の安房直子さんのお話です。
【私の100冊】の中には「さんしょっこ」を代表してあげていますが、本当は「安房直子全集」と言いたいのです。
安房直子さんの童話のまとう空気は独特です。
可愛らしく優しい物語もぞくっとする怖い物語もあるので、ひとことでまとめてしまうのは乱暴なのですが、私は「晩秋の小春日和」の印象を抱いています。
穏やかに晴れてほのほのと暖かいのだけれど、すぐそこには冷たい冬が忍び寄っている晩秋の小春日和。
冬に「死」を迎える生き物によっては、間近に迫った死と向き合うほんの少しの猶予の時。
だからこそ、今、ここにある命が美しく尊く、愛おしい。
人とすべての生き物が等しくそこにある
季節が巡り 命あるものは生まれそして過ぎ去る
その不思議さ 潔さ はかなさ 美しさ
安房さんの物語には そのようなものがぎゅっと詰まっているのです。
<歌の力とおまじない>
安房さんの物語の魅力の一つは、物語の中で唱えられる歌や呪文です。
和歌は、古今集仮名序で「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ・・・」と言霊の力を称えられていますが、安房さんの物語でも「歌」や「呪文」は重要な役割を果たします。
歌は、人とそれ以外のものの交歓の手段であり、不思議な力を呼び起こすものであり、自らを鼓舞し慰撫するものでもあるのです
「空にうかんだエレベーター」で、月の光でマントを作り、星の光でリボンを作ろうとしてうさぎのぬいぐるみが歌う歌
入ったものの声を真似て終いには狂い死にさせてしまう「声の森」の人まねの木すら眠らせた少女の子守歌
物語の中にちりばめられるこのような歌が、より不思議な雰囲気を際立たせているように思います。
また、不思議をもたらす「おまじない」もよく登場しますが、なるほどこれは効果がありそうだ、と納得してしまいます。
たとえば「あるジャム屋のはなし」で、鹿の娘が若者と結婚するために人の娘になる方法は、「さまざまの花を食べ、さまざまな泉の水を飲み、さまざまの呪文をとなえて、となえ終わった月夜にきっと人間の姿になる」というもの
「日暮れの海の物語」で魔性のものに魅入られた娘を守るための方法として年寄りから伝えられた方法は「魔物や鬼や、悪い霊にとりつかれた人は、自分の一番大事な反物を一反つぶして、それでできるだけたくさんの針刺しをつくるといい、と。針刺しに新しい縫い針を一本ずつ刺して海に流すといい」というもの
なんだかとっても効きそうですよね。
私たちの祖先は、人の世と異界をつなぐ方法を知っていたのに私たちはそれを継承できなかったのかもしれない、と思わせる説得力があるのです。
<私の好きな安房直子さんの物語>
「さんしょっ子」
さんしょっ子は、山椒の木の精、緑色の着物をきたかわいらしい女の子です
山椒の木の立っている畑は、すずなの家のもので、すずなは、幼馴染の茶店の三太郎と山椒の木の下でおままごとをし、お手玉で遊びました。
さんしょっ子はすずなの真似して歌いながらお手玉で遊んだり、三太郎の茶店にお団子を食べに行ったりしました。
月日がのろのろとすぎ、すずなは美しい娘に、三太郎はりっぱな若者に、そして、さんしょっ子も大人になり、身体がすっかりすきとおりうすみどりいろの光になりました。
すずなが隣村のお金持ちに見初められてお嫁に行くことがきまり、三太郎はしずかに見送ります。
そんな三太郎にさんしょっ子は呼びかけます。そして・・・。
すずなと三太郎とさんしょっ子、若葉に祝福されていた幼馴染の関係が静かに変わっていく切なさが胸に残ります
「だれも知らない時間」
長く長く生きているカメから、真夜中に余分な誰も知らない一時間をもらった良太は祭り太鼓の練習にあてていました。
ある日、誰も知らないはずの時間に一人の少女が訪ねてきます。さち子は、同じようにカメから時間をもらって時を止めた海を走り、島の療養所にいる母を毎晩訪ねていましたが、ある日約束の時間までに帰りつかず、カメの夢の中に落ち込んで共に長い長い時間に閉じ込められていたのです。
良太は、カメに交渉してさち子を取り戻そうとします。
カメの出した答えとは?
たった一人でながくながく生きるカメの寂しさと「祭りの晩は長いよ」というカメの言葉が印象的です。
「遠い野ばらの村」
一人暮らしのおばあさんは、遠くの町で暮らす息子一家を空想して村の人たちに話していました。
ある日、本当はいるはずのない孫娘たちが、遠い野ばらの村から訪ねてきます。息子一家は、野ばら堂というせっけんを売る店を営んでいるというのです。
おばあさんは、「孫」たちにおはぎを拵えて食べさせてやると、お腹がくちくなった子どもたちはぐっすりと眠ってしまいました。翌朝・・・。
おばあさんと「孫」たちのあたたかくてほんのりと野ばらのやさしい香りがするかわいらしい物語です
そのほかにも、果物を煮てジャムを作る若者のもとを鹿の娘が訪ねてくる「あるジャム屋の話」
グラタン皿に住む不思議なあひるが、持ち主のおばあさんと喧嘩して、グラタン皿を飛び出してあちこち経巡って元に戻ってくる「グラタンおばあさんとあひる」、
布地を扱う店にやってきた猫が、マントの裏地にするための薪ストーブの炎の色の赤の布を欲しがる「ひぐれのお客」など
大好きな物語をあげていったらきりがありません。
私たちが暮らす日常とすぐ隣り合わせには、人の世の理の通じない異界がある。
安房さんの物語は、その確かな手触りを感じさせてくれました。
私に、人であることを奢らぬよう戒め、万物を敬い、あこがれ、大切に愛しむ気持ちを教えてくれた物語なのです。
桜が散り、今は、若葉の瑞々しい季節です。
山椒でなくとも、楠に、銀杏に、うすみどりいろの女の子がそっと隠れているかもしれない、そんなことをおもいながら木々を眺めています。