1分着手「しかできない」と思ってしまうとき【ユタカジン】
かめりんです。
早いもので、このnoteで記事を書き始めてから1ヶ月が経ちました。記事を通じて少しでもあなたのお役に立てていると嬉しいです。
今回もユタカジンへの寄稿記事となります。
ユタカジンとは「自分らしい時間的豊かさを追求する」をテーマとして、タスクシュート協会メンバーが、時間や習慣、タスクシュートなどなどにまつわるお話を連載していくマガジンです。
さて今回は、著書『先送り0』で示されている3つ目のルールである、
についてお話しします。
「1分着手」のポジティブな作用
1分着手ルールを意識して先送り0に取り組んでいると、いろんなことに気づくはずです。
例えば、
というようなこと。
こちらは「先送りせずにすぐやる人に変わる100日チャレンジ(100チャレ)」第5期の途中で、参加者の方が実際に日々の振り返りの中でおっしゃっていたことです。
また、書籍『先送り0』の予約特典としての100チャレ第7期が始まってはや1ヶ月が経ちますが、このようなポジティブな声をたくさん目にします。
プランしたことにちょっとでも着手して「先送り0」の心地よさを味わったり、ずっとやりたかったけどできなかったことに着手することができて満足感を味わったりと、様々です。
1分だけでもいいから着手しようと思って開始させると、意外と5分くらいは経っちゃっていたりします。
ちょっとだけでも集中しようという意識が働くこともあってか、着手前に想像していたよりもサクッと先に進んだりすることも多いんですよね。
何かやるべきことを頭に思い浮かべたとき、どうしても無意識のうちにその「完了」を思い浮かび着手ハードルが上がってしまいがちですが、
この1分着手ルールのおかげで「完了」ではなく「着手」にフォーカスすることができ、目の前のことに手をつけやすくなります。
「1分着手ルール」の効果はとても大きいです。
ただ、それでも手をつけにくいこともあったりすると思います。そのときの処方箋は2024年3月7日の投稿に置いておきました。
1分着手「しかできない」?
しかし、仕事も含めて生活の忙しさに波はつきものです。
他の業務もたくさんあって、やろうと思っていたことに1分着手「しかできない」と感じる日もあったりするでしょう。なんなら1分すら経っていない場合もあるかもしれません。
一応きちんと着手して先送りは0ではあるものの、ものごとが進んでいる実感がなかなか得られず、焦りや不安、モヤモヤのようなものを感じる、ということですね。
そういう焦燥感やモヤモヤ、とてもよくわかります。
日々しっかりとやるべきことをこなして仕事をしているつもりでも、どうしてもタイミングによってはやらなきゃいけないことがドカっと重なったりしますよね。
1日そういう日があったりするくらいだったら問題ないかもしれませんが、頻発してしまうとなかなか気持ちのやりどころがなかったりします。
こういったときに頭に思い浮かべてみてほしいことをお伝えしようと思います。
1分着手しかできないと考えられるのはすごいこと
そもそも、1分着手「しかできない」と思えること自体すごいことだと思いませんか?
1分着手ルールを採用する前の生活を思い出してみてください。これまでは、たとえば期限ギリギリまで1分すら手をつけないといったこともあったはずです。
着手をしなければ、どう考えをこねくり回しても進捗は0です。
もっというと、「やらなきゃいけない」と思いつつやってないことから焦りや自責の念が生まれ、着手のハードルも上がってしまうことも往々にしてあります。
そう考えると、手をつけないことはむしろマイナスの進捗と考えても良いかもしれないのです。
1分着手ができている時点で、少なくともこれまでの自分よりはちょっといい感じにものごとをこなせているはずなんですよね。
着手できているということ自体の素晴らしさを、まずはあらためて受け入れてみてもよいのではないでしょうか。
「微々たる進捗しかない」モヤモヤ
上の方で1分着手しかできないときの気持ちを「ものごとが進んでいる実感をなかなか得られず、焦りや不安、モヤモヤのようなものを感じる」と書きました。
このことについて少し深めてみましょう。
仮に、日々少しずつ着手して完了させたいことを「プロジェクトA」とします。そして、そのプロジェクトAが完成した状態を100としてみましょう。
この数値はあくまで頭の中で想像するプロジェクトAの仕事量だと思ってください。
1分着手しかできないと思うときのモヤモヤは、たとえば100のうち0.1くらいしか進んでいないような感覚がしてしまうことに由来するのかもしれません。
そして、これを積み重ねても100に到達するには相当な時間がかかる(締め切りを大幅にオーバーしてしまう)上に、この忙しい状況の中では長い時間もかけられない、と考えているからだと思います。
しかし、この「100」とか「0.1」といったあまりにも漠然としすぎた感覚がとても厄介なわけです。
「大変そうだな」「時間かかりそうだな」という、プロジェクトAに対する漠然とした感覚を大きく100と考えてしまったり、
1分のうちにこなしたちょっとしたことを、0.1くらいの本当に微々たるものにしか思えないわけです。
時間は量では測れない
仮に、プロジェクトAの仕事量が本当に100で、1分で0.1しか進まないとしたら、単純計算でプロジェクトAを終わらせるには1,000分、つまり約17時間かかることになります。
そんな大きな時間、なかなか日々の忙しさの中で見出しようがないですよね。
そんなとき、思い出してほしい言葉があります。それは
時間は量では測れない
です。
上の計算を例にとると、日々の1分の価値を1,000倍したものと、1,000分(約17時間)の価値はイコールではない、という意味合いになります。
少し時間が長くイメージしづらいかもしれませんので、60分で考えてみます。
たとえば「1分間の成果を60回積み重ねて得たトータルの成果」と「60分間続けて得られた成果」はどちらが大きいでしょうか。
単純な比例関係であれば、これらはイコールで結ばれるはずです。
ただ僕は、前者の方が大きくなることが往々にしてあるのではないか、と思います。
先に後者を考えてみます。
60分間続けたとしても、その間高い集中力を維持して質の高い仕事をし続けるのは難しいはずです。時折違うことを考えていたり、途中の数分間くらいはスマホをいじってしまっていたりするかもしれません。
60分やっていたつもりでも、実質の作業時間はそれよりも短くなってしまっているはずです。
一方で「1分間の成果を60回」はどうでしょう。
1分間だけ取り組もうと思えば、違うことを考えたりスマホをいじる隙はありません。毎回ではないにしろ、頻繁にダッシュを繰り返しているような濃密な時間となり得ます。
その積み重ねとして、より遠いところまでより短時間で行けることになるのではないでしょうか。
これが「時間は量では測れない」という言葉によって伝えたいことのうちの1つです。
ミクロに「時間は量では測れない」を適用する
さて、もしかしたらここで疑問が湧いたかもしれません。
0.1くらいの進捗しかないと思ってしまう時間は果たして濃密な時間だと言えるのか?と。
そのような疑問に対しても「時間は量では測れない」という考え方を適用してみましょう。しかし今度はミクロな見方です。
1分くらいでできそうな作業を2つ考えてみます。
1つは、「とあるプロジェクトに関してやらなきゃいけないこと考えたところ2つ思いつき、付箋やタスクシュート関係のアプリなどにメモしておいた」。
もう1つは、「書き留めたうちの1つの「書類作成」としての作業を50文字くらい書き進めた」。
作業として進捗があったのは後者でしょう。0.1くらいしか進まなかったと思ってしまうのはどちらかというと前者かもしれません。
では、だからといって「後者の方が時間としてはより濃密で価値が高かった」と間違いなく言えるかと問われると、なかなか判断に困るのではないでしょうか。
後者の作業は前者の「思いつき」がなければ生まれなかった行動です。そう考えると、前者の方が価値があったと考えることも可能なはずです。
つまり、同じ時間の中で生み出される成果や価値がイコールではないことに加えて、その成果や価値の大小関係も明確に判断することはできないはずなんです。
そのため、0.1くらいの進捗しか生まれなかったという風に感じてしまったとしても、その間にできたことの価値や成果は簡単には判断できないと考えて、また来る日も来る日も1分着手を実践していけばいいのです。
これが、「時間は量では測れない」という言葉で伝えたかったもう1つのことです。
さて、今回は1分着手を繰り返す中で出会うかもしれないモヤモヤ「1分着手しかできない」について取り上げ、
「時間は量では測れない」という言葉をお伝えした上で、そのマクロとミクロな両方での見方を提示してみました。
少しでも参考にしていただけたら幸いです。
あ、もちろん忙しいときは特に体に疲労が溜まっていたり、寝不足だったりするときもあります。そういうことが要因で「1分着手しかできない」と極端に考えてしまっている可能性もあるので、できればタスクシュートを活用してきちんとおやすみしましょうね(自戒を込めて)。
もしもしかめよ かめりんでした。
今回も読んでいただきありがとうございました。
明日以降も続々と「ユタカジン」に記事がアップされていきます。
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