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男女の話だと思いきや巨大な女女感情が潜む「スオミの話をしよう」映画感想文
三谷監督作品で主演は長澤まさみさん。長澤さん演じるスオミには夫が五人いる設定……と、なんと坂元裕二脚本ドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」の三人よりも多い。
「鎌倉殿の13人」で初めて大河ドラマを完走したのもあって、三谷映画絶対観るぞ!とウキウキしながら予約したら、まさかの女同士の巨大な感情に翻弄される結果となった。
そんなわけでいつも通りネタバレ全開の感想となっておりますので、鑑賞前の方はご注意下さい。
出だしから、舞台そのものを映画でやろうとしたんだろうな、と感じる役者陣の演技に、セット内での立ち回り。
むしろ本当は舞台でやるつもりだった作品の脚本を何らかの理由で映画に回したのかな?と思いましたが、どうなんだろう。
スオミの一人目の夫・魚山を演じるのは遠藤憲一さん。ツンデレ好きな担任教師の為にローツインテにして大声で切れるスオミ。
魚山さん自身も激高しやすいけれど、根がいい人故なんだなあと伝わってくる、流石の遠藤さんの演技力。
スオミの二人目の夫・十勝を演じるのは松坂桃李さん。マルチまがいの商売を繰り返す見栄っ張りだけど、スオミの優秀さも自分の矮小な部分も認めているし、夫たちの中では一番まともだったのでは?と感じました。
ただ私の目に松坂桃李マジックがかかっていた感は否めない。私はどうしても松坂さんに対して「殿~!」って心の中でうちわを構えてしまうので。
あと十勝さんの妻になってからスオミの生活レベルが跳ね上がってしまい、なかなか落とせなくなってしまったんじゃないかなと推測しています。
スオミの三人目の夫・宇賀神を演じるのは小林隆さん。五人の中で宇賀神さんが一番理解するのが難しかった。
コメディリリーフとしての役割が大きいのは分かるのですが、言語が違う・伝わっていない相手と結婚する人は実際にいたりするので、なんでその状態で結婚しようと思えたんだ……???ってなってしまう。
スオミの四人目の夫・草野を演じるのは西島秀俊さん。私は草野さんみたいな人が一番しんどい。
パートナーであるスオミが猫足のバスタブに入るのが夢だと語っているのに、全く相手にしていなくて、そのこと自体に一切悪気がない感じ。
この人は結局、どうして自分がスオミに捨てられたのか、自覚できたのだろうか。最後に寒川さんとの離婚届を渡すために一人だけ呼び出されて、やっぱり自分のことを特別頼っていると嬉しそうに笑う姿も、西島さんはキュートだけれど、なんだか悲しかった。
スオミの五人目の夫・寒川を演じるのは坂東彌十郎さん。分かりやすくスオミをトロフィーワイフとして求め、着飾ることは許すけれど、自由になるお金は一切与えない守銭奴。
その上身代金まで惜しむのだから、スオミが日々感じていたであろう絶望が辛い。しかもどうも、元奥さんのことはちゃんと愛してたんじゃないかと最後の会話から伝わってきたのがさらに辛い。息子のこともわりと可愛がってるみたいだし……。
しかし、ならばスオミは自己中心的で身勝手な男たちに翻弄された可哀想な女性なのか?と言われると、そうじゃない。
逆に五人もの男たちを手玉にとった強かな女なのか?と言われると、それも違う。
相手の男に合わせて自分を変えていくスオミという女性の性格は、高校時代の三者面談のシーンから分かるように、我が子の進路はそっちのけで男性教師にひたすら話しかける奔放な母親と、父親がころころ変わる家庭で育ったことが影響しているのだろう。
こういった家庭で育った女の子が高校の担任教師と付き合うようになるのは、少し分かるような気がしてしまう。
自分を家から連れ出し、経済的に守ってくれる男を確保する為に、手っ取り早く掴まえられた身近にいる成人男性が先生だったのだろう。
今だとこういう子はパパ活を始めてしまいそうだから、まだ教師が相手で良かったんだろうか…?いやダメだよな……とか、魚山さんがスオミに対して幼い子を諭すような口調で話しかける度、自分の倫理観と戦っていた。
貴方たちに私のことが分かるわけない、だって自分でも分からないから。
そう叫んだスオミの傍らには、ずっと付き添っている女性・薊がいる。演じているのは宮澤エマさん。
確かにこの作品のポスター等を見かけるようになってから、端っこにいるこの女性はどういう役割なんだろうと不思議に思っていた。
まさか五人の男たち+α が散々スオミを巡って揉めまくった終盤に、後方彼女面した女が出て来るとは思わないじゃないですか……!
三者面談のシーンでもスオミに助け船を出すために入ってきて、家庭事情も完全に把握していたであろう薊。
スオミが誰かの妻になってからも度々生活に現れて、彼女の人生に寄り添い続けた人。
スオミと一番付き合いが長いのも、理解が深いのも、間違いなく彼女だ。
寒川さんと別れることにしたスオミが今後どうなるとしても、私がいるから大丈夫だと断言し、夫たちの中から一人だけ連れ出された草野さんの様子を覗き見る彼女。
そこに潜んでいるのは間違いなく、薊さんからスオミへの、強烈で巨大な感情だ。
この映画に一番必要だったの、薊視点でのスオミの描写だったんじゃないだろうか。
スオミは常に誰かに頼っている。経済的にも精神的にも、一人では生きていけないからだ。
頼る多くは男性で、スオミはその男の妻になる為に性格を変えていく。だけれど一番依存していた相手は、間違いなく薊さんだった筈だ。
薊さんもそれを理解しているから、スオミが何人もの夫と結婚生活を送ろうとも、余裕の姿勢を崩さなかったのだろう。
ラストのダンスシーンは、三谷監督がとにかく長澤まさみさんが大好きなのが伝わってくる。
私が大好きなのはヘルシンキ!とスオミは晴れ晴れと歌うが、三億を手に入れなくても、本業は弁護士らしい薊さんの経済力であればとっくに行けたんじゃないだろうか。
いや生活レベルを落とさずに長く生活するためには、そのくらい必要だったという話だっけ? 別れた夫には縋っても、友人には経済的に頼りたくないというスオミの意地だろうか?
けれど狂言誘拐が薊さんの知恵を借りたものだと分かった以上、スオミに思い知らせる意図があったんじゃないかと、どうしても勘ぐってしまう。
男たちはスオミを救わない。今の夫も貴方を見捨てる。貴方のことを理解しているのは私だけ。
そうスオミに念入りにすり込む為に計画したのではと、どうしても考えてしまう。
六番目の夫を手に入れても、スオミはきっと今までと同じことを繰り返す。今までの夫たちとも何だかんだで交流を持ち、援助を受け続けるのだろう。
この人に私のことは分からない。それなのに頼らないと生きてはいけない。
私にも私のことが分からない。だけど結婚生活を続けたいとも思わない。
そんな矛盾を抱えながら、限界を迎えるまで相手に自分を合わせていく。
結局母親と同じような人生を送るスオミのことを、これからも薊さんは寄り添い支えていくのだろう。
「私がいるから大丈夫」と、誰かの妻になった彼女に囁きながら。