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閉じた範囲の末路「若き見知らぬ者たち」映画感想文

 2024年、月に一度は映画館で映画を観ようキャンペーン引き続き継続中である。
 しかし10月公開映画はこれといって観たい作品がなく、どうしようかな~と悩んでいたところに、ラヴィット!で映画の宣伝をするために磯村勇斗さんが出演されていた。生放送バラエティで磯村さんが頑張っていたので、今月観る映画は「若き見知らぬ者たち」にするかと決めた。

 そして観に行ったはいいものの、なかなか感想に困る映画だった。
 いつになく辛口な内容になってしまいそうだが、なるべく言葉を選んで書いているつもりなので、私の頑張りも感じて欲しい。

※以下の感想文には映画の内容がだいぶ含まれていますので、これから観る予定の方はご注意下さい。

 母の介護をしながら昼間は工事現場、夜は父が残したお店を切り盛りする主人公、彩人。
 基本的には彼の息が詰まりそうな毎日に同情し、感情移入するための映画なのかなと前半は考えていたが、だんだんとこの状況を作り出したのは彼自身じゃないか?と疑問を感じて、彼を支えるために看護師の仕事の合間を縫って手伝いに来ている恋人の日向ちゃん(岸井ゆきのさん)が気の毒になってくる。    

 弟の壮平くん(福山翔大さん)が告げているとおり、日向ちゃんに手伝って貰ったところでこの家はとうに限界を迎えており、ヘルパーさんを頼むとか、お母さんを施設に預けるかしないとどうにもならないのは目に見えている。
 しかし大事な格闘技の試合を控えた弟が必死に告げたであろう言葉に対して、彩人が返した言葉は「この世のあらゆる暴力から、自分の範囲を守るんだよ」というよく分からない言葉だった。
 自分が骨身を削って介護することが、自分の家族(範囲)を守ることに繋がると考えていたのだろうか。母親に必要な外部のサービスを繋げようとしない彼の姿勢は、むしろ母親をより窮地に追い込んでいるように見えた。
 しょっちゅう徘徊している母親が近所の方の庭(畑?)を荒らしたときも、彩人は地面に手をついて謝るが、近所の方に「そういうことじゃないんだよ」と窘められている。
 これがもう本当に全てで、母が何をしても息子がひたすら頭を下げればいいとか、「そういうことじゃない」のだ。

 「この世のあらゆる暴力から自分の範囲を守るんだよ」は兄弟の父親が口にしていた言葉だったと後に判明するのだが、この父親こそが家庭を、そして母親を壊したわけで、それなのに兄弟の中ではまだ正しくて強い者の象徴となっているのだろうかと、とにかく不思議だった。
 障害を負って壊れてしまった母は弱い者の象徴で、たとえ関わる全員が限界を迎えていても、家の中、自分の手の届く範囲で守ってやらなくてはいけないと感じていたのだろうか。
 夜勤明けに食事を作りにきて、お風呂でヤらせてくれる上に、自分が死んだ後は母親の面倒を見てくれる(そして恐らく妊娠している)彼女といい、女が家にいること、無償で人生を捧げてくれることに幻想を抱きすぎではないかと心配になってくる。日向ちゃんは何というか、男の夢の欲張りセットみたいな存在だった。
 もし日向ちゃんのご両親が介護を必要とするようになったとき、弟の壮平くんは日向ちゃんが自分のお母さんにしてくれたのと同じだけのことを、日向ちゃんの親にするだろうかと考えて、しないよなあ、多分……とげんなりしてしまった。いやこれは私の想像なのですが……。
 日向ちゃんが医療従事者であるにも関わらず、この家に必要な支援を繋げてやれないのも不思議だった。彩人が断ったのだとしても、彼女のほうが制度やサービスを知っていただろうに。

 経済的に困窮しているはずなのにタバコを吸い続け、もう点かないライターでも捨てられずに溜めてしまう、家具にシールがベタベタ貼ってある、家の中が荒れているのはもちろん、リビングテーブルの上にまでものが山盛り置いてあるといった、追い詰められた家のリアリティは素晴らしかった。
 それ故に、物語の起点となる強権的な警察官と、暴力的すぎるチンピラの存在がどうにもアンバランスだった。この二組だけジャンルが違う漫画から現れたみたいで。
 ただ私は一度も職質というものを受けたことがないので、実際に受けたことがある人からすると、あの警察官の言動はあるあるなのだろうか。
 すでに血まみれの状態の彩人を病院にも連れて行かず、パトカーで連行するシーンはそりゃ死ぬだろうとしか思えず、この辺りからだいぶ気持ちが冷めてしまった。

 格闘技の試合のシーンも、申し訳ないが私はついていけず、ずっと「???」だった。私の中で兄の視点の物語と、弟の物語のスイッチが上手く切り替えられなかったんだと思う。
 長々と続く試合を眺めながら、兄の死によって奮い立つ弟ってことなのかな……?と理解しようと頑張ったが、それより兄の死の真相を誰か追いかけてくれよとモヤモヤした。

 親友の大和(染谷将太さん)がいい人なのは伝わってくるが、お店の床の血に気がつかずに歌い続けているのはいくらなんでもアホ過ぎるし、弟の壮平に至っては掃除してしまうし、な、なんで?と混乱するばかり。
 そう言えば弟の友だちが警察官だった!彼が組織内部から真相を暴いてくれるに違いない!と期待するも、そんなことはなかった。どうして。
 この作品の登場人物、全員びっくりするくらい問題を解決する能力が無い。問題提起する為に作られた作品であって、具体的な解決策は観た人が考えてね、ということなのだろうか……?

 この映画のキャッチコピーは「何が彼を殺したのかーー」なので、弱者として生きる者たちの現実を理解せず、暴力的により追い込もうとする強者たちの姿を描きたかったのかなとも思うが、悪の描き方が露骨な上、肝心の母親の今後は日向ちゃんに丸投げという着地の仕方なので、次は日向ちゃんが追い詰められるだけなんじゃないかと思ってしまう。

 彩人の外部を頼らない姿勢は、父親のお金の使い込みが発覚し、泣き叫ぶ母親から逃れて別の部屋に閉じこもっていた頃から、結局は変わっていなかったのだと思う。
 彩人は壊れた母の介護を献身的にやり続けることが、母を支えられなかった自分への罰なのだと感じていたのだろうか。その自罰的な生活を続けていたからこそ、彼の範囲はより悪い方向へと進んでしまい、家族の心身も彼女の人生も守れてはいなかったのに。
 一番家の中、自分の範囲に閉じこもっていたのは、母親ではなく彩人自身だ。
 せめて日向ちゃんはあらゆる手段で外と繋がり、光明を見出して欲しい。
 彼女がこれ以上自分の人生を潰してしまわないよう、願うばかりだ。

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