ある友人は「恋バナがしたい」と言った〜オザケンのライブに行った日の日記〜
オザケンのライブに行った。
オザケン、自分よりずっとずっと年上なのに、敬称略で呼んじゃうオザケン。中学1、2年くらいの時に、唐突に母に聞かせられて、20代半ばのオザケンを、10代半ばの自分は世代真っ只中のような感覚で聞いた。「懐メロにならない」どころか常にど真ん中であり続ける、それが自分にとってのオザケン。友人は、やっぱり前髪を切りすぎていたし、自分は毎冬ダッフルコートを着ているのだ。
大真面目に僕は言う「もう恋なんてしない」
ある友人は、「恋バナが羨ましいのだ」と言う。自分にとって、恋愛なんてもう、本当に一生しない・できない・してやるものか、で、「話なら聞くし、するけど、論破してしまうかもしれない」と返した。
すると友人は、「部活でみんな恋バナをしている」と言う。“恋をして、それしか考えられなくなったり、連絡を取り合っては動揺したり”そういう感覚に憧れちゃっているらしいのだ。すかさず僕は言ってしまう。「そんなの時間の無駄だよ」と。心の底からそう思う。そして、そんな相手とは到底うまくいかないことも知ってしまった。
いちいちドキドキして、いちいちビクビクして、焦って、転んで、ぶつかって。そういうのが大事なのだと思っていた時期、確かにある。でも、それが一番苦しい時間で、何にもならないことを知ってしまった。知っただけ価値はあるかもな、と思うことにしている。
例えばその友人に、そういうことを言って、何があったのか聞かれたら正直に話すつもりだ。入り組んだ全ての話を。
シナリオライターを目指していた時、恋愛をすべきだと数人に言われたことがある。すべき、と言われたエッセンスは味わえたかな。
遠く離れていて、深まる愛を
そんなこと、あるのだろうかと思う。まだまだ、まだまだ僕は若葉なのだと思う。
ある授業で、世の中の3割が浮気をするのだ、と教わった。それが、恋人の話なのか夫婦の話なのか、はたまたその両方かは忘れてしまった。なんにせよ浮気も不倫も大嫌いだ。
もし、「こんなに遠く離れていると 愛はまた深まってくの」というような関係性が本当にあるのなら、それを探し続けてしまうだろう。
きっと、オザケンはそれを見つけたのだろうな、と思う。「君を嫌」っていた「僕の彼女」と別れて、その後にも紆余曲折あったのかもしれないけど、今現在のパートナーを、見つけたのか、捕まえたというのか、細かいことはわからないけど。
正直、将来が不安だ
どう考えても、何年後、何十年後も孤独でいるイメージしかできない。
そもそも自分の性自認が揺らぎまくって、顎にいくつものニキビを生成し続ける僕を、僕以上に愛する人など存在するのだろうか。
最近、夫を”旦那さん“とか妻を”家内“とか呼ぶ文化にほとほと愛想が尽きてきたところだ。
性自認揺らぎまくりの僕からしたら、少子高齢化より個人の尊重とかダイバーシティとかの方が重要で、細かいことが気になる性分も相まって、かなり面倒臭いことを言っている自覚がある。
それに、「個人」という概念が周知されるというか、恋愛結婚によって個人同士の自主的な結婚が主流になってきて、”私“と結婚して・を認めて・丸ごと愛して、みたいな高望みというか我儘というか、結婚までのハードルが高くなっている気がする。それに加えてLGBTQ+があって、ジャンル分けをしてしまうとすればかなり細分化されてきている。さらに加えて、出会いのチャンスが少ない、ということもあるし。
正直、一目惚れなどに憧れる自分もいるけど、そんな好都合なこと…あるのだろうか。
何はともあれ最高だったのだ
物販で2時間並んだのは流石に堪えた。
ヨロヨロで家に帰ってきて、風呂に入って今はもう午前3時。iPodでオザケンを聴きながらこれを打っている。
それくらいのエネルギーのあるライブだった。
電子回路の蓄光のステッカーにエネルギーを溜めるように、ピカピカ光る両腕を振り回して、踊って、すっかりエネルギーを貰っていたようである。
ライブは非日常かもしれないけど、オザケンは日常を歌う。
隣の席のカップル(夫婦?)は、彼氏(夫?)が彼女(妻?)に席を譲って、より見えやすいように、と移動していた。なんというか、そういう優しさを持っている人が、いっぱいいるのかもしれない。オザケン好きのカップルは、夫婦は、グループは、きっとうまくいく。親子もきっとそう。母と行ったから、自分で言うのもなんだかな、と言う感じですが。MCで、親子で来ている人たちに向けて言ってくれたのも嬉しかった。親を、個人として見る、と言うこと。流石に自分の歳になるとそう言う視点も持ち始める頃だろうけど、中学生くらい、小学生くらいの子供からしたら新しい視点なのかもなぁと感じた。たしかに、20年以上前にオザケンを聴いてて、そっから20年以上後になってライブに行ってる大人はクールだな、最高に。
20年後、僕は孤独かもしれないけど、クールであることはたしかだ。
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