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ぐるぐると真実を彷徨くような[『ボーはおそれている』感想・ネタバレ有]

おはようございます、かめのうらです。
ペットの寿命を想う今日このごろ。
久しぶりではありますが、映画の感想をば。『哀れなるものたち』についても別に書けたらなと思っております。

ネタバレしつつの感想になりますので、映画を新鮮に見たい方は、ネタバレ有ゾーンは読まないように気をつけていただいて…。
ちなみに自分は、半ネタバレを踏みながらざっくりとしたテーマを掴んだ上で観ました。結末については具体的には知らないまでも、方向性については知った状態でした。なにせ約3時間ありますし、2024/02/20頃の時点で映画自体の興行収入が赤字、みたいな内容のツイート…、じゃなくてポストか、を散見したので、最終的な感想として「なにこれ?」となりたくなかったので。自分の中である程度価値づけられるだろうかと検討しながらの鑑賞でしたね。PDCAサイクルの鑑。1000円をも無駄に使わないという努力。

結論として、観てよかったなと思う映画でした。
まっさらの状態で観たい方、「観てよかった」と思う人がいるんだな、と思って観に行かれると良いかと思います。

PRでもなんでもないですが、リンクを貼っておきます。


MBTI=ジョーカーの人間(ネタバレ無)

わたくし、MBTIがENTP-T(討論者)なんですね。
そう聞いてどう思うかは本当に人それぞれ。冒険家の方、ご連絡お待ちしております。
ENTP(討論者)の著名人を見ると出てくるんですよね、ジョーカーが。『ジョーカー』も勿論鑑賞済みです。その上でシンパシーというのか、共感する点があったなと思うわけです。キャラクターをつくる中で、共感性を感じられるように作っていくのはスキルの一つではあるけど、それでもその共感度というのは人それぞれですよね。きっと、ジョーカーに共感できない人もいるよなぁと思ったり、そもそも興味ない人もいるよなぁと思ったり。

と、まぁ脱線してしまいましたが、そういった繋がりもあってこの映画に興味を持ったわけです。 

もしこれが現実だったら泣いちゃうな(以下ネタバレ有)

さて、それでは直接的な感想に入っていきましょう。
ちなみに、アリ・アスター監督の作品を観たのはこれが初めてで(『ミッドサマー』はいつか観たい)、宗教系の知識に乏しく、ジャンプスケアが嫌いで、痛そうなシーンは薄目で見るタイプの人間です。お金払って観てるのに目を逸らす勇気を称えてください。

初っ端の初っ端で申し訳ないですが、産まれるシーンがかなり印象的でした。音とか、視覚的な要素は勿論、母親のキャラクターがその数秒、数分足らずで伝わってくるのが、良い意味で悪い予感を感じさせていました。その間、人の表情が見えなかった(と記憶している)のですが、その場にいる人々の表情が容易に想像できる気がしたのです。それだけでなく、母子の関係性であったり、母親として周囲の人々とどのように関わっていたのか、例えば教師との関わりなどについてもなんとなくイメージできました。自分はあまり海外の学校のシステムを知らないので日本風のイメージにはなりますが、母親が他の保護者や教師とあまり良い関係性を築けていないことで、子どもも孤立していたのだろうなと。序盤のシーンではあまり理解できなかったのですが、母親は大企業の創業者で(この映画における最もフィクション的な部分であると思います)、お金でどこまで上手くコントロールしていたのだろうか、という点は学校システムについて知っていれば更に想像が膨らんだところでしょう。

次に、主人公が住んでいる街についてです。
街の様相については、宗教や人種といった背景に知見があればもっとおもしろいポイントだったのだろうなと思います。Xでの様々なポストを読んで、そうだったのか~と思う程度でしたが…、本当に様々な要素が詰め込まれているようなところだったので…。
何も知らない状態で見ても、主人公が捉えている街の異常性が怖すぎて、涙目になりながら観ていました。嫌すぎる、あんなところ住みたくない…。私事ですが幼少期に、そこそこ治安の悪い地域に住んでいたことがあったので、そこも共感してしまうポイントだったのかもしれません。幼心に、マンションのドアを開けたら不審者がいるのではないかという恐怖(実際にいることもなくはなかった)を被害妄想的に感じていたので、主人公の精神状態に近かったのかなと思います。多分、アパートの中で起こる問題の殆どが幻覚なんだろうけど、100%幻覚というわけではなく…というような塩梅だからこそ難しいのかなと。ずっと、誰か助けてあげてー!と思って観ていました。

逃げ出せない重厚な檻

母子関係が難しいなと思うのは、0から1を作り上げる過程に母親が関与しているということです。これに関しては母親に限らずかなとは思うのですが、自分の経験上母親しかわからないもので。
0から1の中で、子どもが母親無しで生きていけるか否かも決まってくるんじゃないでしょうか。「ボー」は、母親無しで生きていけないようにさせられてしまったのだなと感じました。やっぱりここで宗教的なことを知らないことが悔やまれますが、精神的に母親をどう捉えているのかはわかりませんでした。しかし、経済的には完全に母親が管理していて、クレジットカードを使って、使えるようにしたりストップさせたり、勿論何に使ったかも全て監視しているのでしょう。
また、なぜ実家を出られたのかについても、見過ごしてしまったようでした。終盤、実家に帰ったあとの、年表(?)をじっくり読んでみればわかることもあるかもしれませんが…。母親のセリフ的には、「ボー」が実家を出たがったのかなと解釈したのですがどうなのでしょうか。もしそうだとしたら、「ボー」は、母親のせいで精神的に辛い思いをしているとどこかで気づいたのだと思います。小中学生頃にいじめにも遭っていたよう(詳細は描かれていませんでしたが)なので、片親だとか金持ちだからという理由だったり、「ボー」自身の性格が起因していたりするのでしょうが、何にせよいじめは解決せず、適切に加害者が罰せられることはなかったと「ボー」は感じているのでしょう。
母親からの精神攻撃について、「ボー」が気づいていたかは本当に微妙な感じがしました。「帰れなくなった」と「ボー」が告げたあとの母親のセリフは、洗脳に近いような言葉でした。ちょっと受容しているようなふりを見せて、(溜息)じゃあもういい、と突き放すような態度を取る。ずっとこうして束縛してきたのだと思います。メンヘラ界隈の人はあるあるネタかも。「ボー」は見捨てられたくないと焦り、攻撃されたことに怒りを覚えて癇癪を起こし、総合して不安に陥っていました。この時点で母親に対して多少の嫌悪感はあったのかなぁと考えながら観ていました。
「ボー」は40代後半で、描かれているのは主に現在(40代)と産まれてから大体中学生くらいまでで、大学生から30代にかけては空白になっていたと思います。その時期を想像すると、様々な意味で自立し、親元を離れて生きていけるようになる頃であるが、それを母親が阻んだということになります。とはいえ、会社を継いでほしいとか、そういった願いというか、欲がなかったのかは疑問です。この点についてはめちゃくちゃ見逃してる気がする。ただ、船上のシーンで「誇りを持って」みたいなことを母親が言っている時、期待しているような感じが見て取れて、子供の「ボー」に対しては未来が開けていくようなイメージがあったのかなと思います。となると、全てを管理したり覆ったりしようとなったのは「エレイン」の存在が故でしょうか。
それまでも、食べ物などの管理は多少きつめだったみたいですが…。ここもちょっとわかるなぁってポイントで、自分は色々食べ物は自由だったと思うけど、幼稚園で他のクラスメイトが通ってるスイミングスクールに通わせてもらえなかったり(数年後本当にプールの汚染が見つかったりする)、半潔癖の環境で育ったが故の苦労みたいなのは、ちょっとだけ共感しました。
だから自分は「エレイン」の視点でずっと観ていたのかもしれません。「私のお母さんも大概だけど、あなたのお母さんはどう?(笑)」みたいな。
「エレイン」のことは本当に断片的にしか情報がなかったけれど、ヒステリックな母親に対して彼女は冷静で、客観視できる人物なんだろうなと思いました。それまで共感できる友達と出会えなかったからこそ「ボー」と出会えたことで運命を感じてしまったというか。「この人しかいない」みたいな気持ち。それって別に間違ってないと思うんです。若気の至りみたいなふうに言われてしまうかもしれないけど、檻のようなもので囲われた子どもたちにとって、似たような境遇や似たような苦痛を抱えている同い年くらいの子どもと出会うことって貴重だし、逃せないって思う。時代背景なんかを考えてもそうですよね、インターネットもないし(無論、あっても監視されるんでしょうけど)、児童相談所的なものも機能していない(あってもお金持ちだと…ねぇ)中では、本当に「この人しかいない」んです。それが恋愛感情なのか、戦友という意味で友情なのかはわからないけど、すごく強い感情だったはずです。
死体の前で…、という要素から『リバーズ・エッジ』を想像しながら観てしまったのですが、流石に監督もそこまでは観てないかな。『スタンド・バイ・ミー』的要素、とも取れるかもしれません。子どもにとって、死体って興味をそそられるものだし、一緒に見たということが共犯関係にあるような、秘密、みたいな要素になっているのではないでしょうか。
終盤の、「ボー」と「エレイン」のシーン、全体的に夢か現か幻かという世界観の中で最も怪しいシーンだと思ってるんですけど、本当に再会したのだとしたら、ジーンとくるシーンだなぁと思います。

閑話休題、ちょっとした妄想


本当にこれはただの妄想なんですけど、豪華客船(?)に母親と二人で来ている子どもってめっちゃレア、悪く言えばめっちゃ浮くと思うんですよ。だってそれくらいの年齢だったら友達と遊びに行くし。「小学校高学年 イオン 母親」くらいのキーワードで伝わるんじゃないでしょうか。小学校高学年はちょっと早いかも、中学生だったら確実に友だちと行く場所じゃないですか?イオンとか、地元の商業施設って。辺境の地だったら車移動なんで微妙かもしれないけど…。
高校生、大学生になるともっと加速していくようなイメージがあります。イメージです。何を隠そう、そこは僕も「ボー」側の人間なので。
きっと、育ってきた環境とかもあると思うんですけど、それでも商業施設でカップルとか、友達同士で来てる人とか見て、ちょっと不安になったりします。

船の上で、「ボー」は「エレイン」に好意を抱いていて、それはきっと本当に純粋なものだったんじゃないでしょうか。可愛いし。
「エレイン」は、常に周囲を見ていて、「こんな湿気た場所」くらいに思っていたかもしれません。母親から、あれはだめこれはだめと制限されて、海の上という閉塞的な場所で。「ボー」に対して、好奇心があったのかなと。「唯一会話できる人」「唯一わがままが通る人」その唯一性が強い感情を生み出していったのだと思います。「こんな湿気た場所で私を(私の好奇心を)満たしてくれる人」だからこそ、いつか迎えに来てほしいといったのではないでしょうか。
その意味では、「エレイン」は「ボー」に救われたのかもしれません。

最近思うんです。救われる、という感覚って大事だなって。


扱いにくい子でごめんね

自分は母から「私が親じゃなかったら育てられなかった」と言われながら育ちました。本当にそのとおりかもなと思うときもあれば、何を抜かしているのかと笑いそうになるときもあります。
アリ・アスター監督が、試写会に母親を呼んだという話を目にした時、2つのことを考えました。まず1つ目、母子関係が良好で、普段から作品づくりについて話したり意見交換するからこそ、というパターン。2つ目は、子どもとしてのメッセージを伝えたかったのかな、というパターン。そもそも映画の内容についても具体的なコメントを残していない監督のこと、憶測しかできず、もし失礼なことを連連と書いてしまっていたら申し訳ないですが、どうしても監督のバックボーンが気になってしまいました。

「ボー」に対して母親が苛ついていたのは確実だと思います。幻覚を見ている人が、嘘みたいな本当みたいな嘘とか、本当の中のちょっとした嘘とか、逆に嘘であってほしい本当のこととか、そんなことばかり話していてはイライラするのも当然です。母親も不安感が強そうだったし、不安が増幅しないように怒りで抑えていたのかもしれません。あぁ、心理の専門家だったらもっと上手く分析できるのだろうな…。
きっと、「ボー」はそういった特性があったのだろうな、というのは他の方の感想を見ている限りでも読み取れましたが、想像力の不足や人間関係などなどの生きづらさを抱えていたのはほぼ確実だと思っています。
年代的に自覚するのは難しかったような気もするし、会社の年表に書いてあった内容から察するに自覚していたような気もします。
自覚していたのなら、その上で母親にどう思っていたのでしょう。

自分は正直、じゃあ産むなよ、側の人間でした。別に他の人に適用するつもりはないです。あくまでも自分、個人的に、嫌な思いをしてきて本当に嫌だったので、産まないでほしかったという考え方に賛同しています。本当に人それぞれなのでね、個人個人思うところは違うでしょう。

結末、「ボー」が母親側の弁護士(検事だっけ?)にめったくそに責められているシーンで、母親が絶対なのだと思わされている事が伝わってきました。あの感じも共感してしまいます。もしかしたら、母親に「いじめられてたんだ」といえば、心配の言葉とともに同じベクトルで怒りの感情を表してくれたかもしれません。でも、脳内の母親(側)は「いや違う!」と大きな声で反論していました。言葉にするより前に、頭の中で想像した姿に怯え、その姿に従うしかないのだと判断してしまうようになっていったのではないでしょうか。頭の中でのシミュレーションがいつも恐怖心を煽るような姿をしていて、それだけでつらくなり、言葉に出せなくなっていく、負のスパイラルなのです。

水面が揺れる(ネタバレ無)

最終的に、本当に観てよかったと思います。
辛~くなる映画だったし、観てから悪夢ばっかり観ていることを除けば、なんの支障もありません。
自分の中の辛さを共有できた感じもするし、絶望とともに、がむしゃらに生きていくしかないと示してくれたような気もします。
私の見えている景色がどうあれ、見えているものは見えているものなのだから、それを信じて歩いていくしかない、孤独を受け入れ、孤独を愛せれば勝ちだけどなかなか難しいよね。とりあえず、誰にも襲われない今を大切に生きていこうという決意です。
他の方の言葉を勝手に使わせていただくと、家族関係に思う所があれば、色々考える余地のある映画です。
子どもと接する職業の方も参考になる…のかな。
『Never ending Nightmare.』というゲームのゲームさんぽを見るのが好きだったので、そういう感じで観ても面白いかもなぁ。古典的な心理学の視点から観るのも、臨床心理の視点から観るのも気になりますね…。



以上、ここまで書くのに3時間かかりました。
正直ねむいです。おやすみなさい。

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