人生のデザイン〜「気づき」の魔力。
私はやたらと「気づき」という言葉を多用します。このブログにおいてもリアルの世界でも、です。
なぁぜなぁぜ?
その答えはズバリ『この言葉が好き』だから。
現在の自分を作り上げてきたのは、まさにこの気づきの連続。それは自分自身がフツーに生活していて気づくこともあれば、誰かから気付かされることも。
しかし、この気づきというのは自分自身のマインドがポジティブで成長意欲が無ければ生まれないのかもしれない。そんなことをふと思いました。
これまで出会ってきた人たちを見てきて感じたことですが、気づきを得られる人というのは会話の中でも気づきを見つけます。そして見つけた瞬間というのが私からも分かるような表情の変化・言葉の変化があります。
どれだけ悩みを抱えていようとも『その境遇を自分の力で脱するぞ!』という意気込みがどこかに感じられるからです。強い意思…それが言葉や表情・姿勢から伝わってきます。
だからこそ、そのような人と会話していても疲れないし『もっとお話ししたい』と思わせてくれます。それは、その人自身が持つ魅力なのかもしれないし、潜在的なパワーなのかもしれない。
しかし気づきに繋がらない人は会話をしていても、気づきの瞬間を逃しているように感じます。最初から最後まで会話に変化が無いんです。発見がない。驚きもない。そのような人は総じてネガティブ思考で、「諦めを身に纏った」ような雰囲気を感じます。
だから、いくら話しても暖簾に腕押し感ばかり。
その人の悩みを解消しようとあらゆる角度から会話を重ねても、どれもピッタリハマる感覚が生まれない。マインドセットしようとしているのに、逆にこちらが自信喪失に陥ってしまいそうになります。
ポジティブな人は、それを周囲に与えることができます。
しかし、
ネガティブな人は、周囲の人さえも同じ思考に巻き込みます。
おそらくネガティブな人は、自分の影響度を過小評価しているんじゃないかな?だから自分の振る舞いが他人に影響を与えているなんて微塵も感じてないと思います。
その事にさえ気づかないから、いつまで経っても変わらない・変われない。自分のことばかりに目がいって、周りを見よう・知ろうという意識がない。結論、自分のことしか見てないってことです。
ここまで書いている私にもそんな時期はありました。
ネガティブ思考に陥っていたし、自分を省みることもせず、周囲に目を配ることもしなかった時期です。相手の不備を責めて優位に立つ。自分に都合の良い言葉だけを見て、自分の足りないところを指摘する言葉には目を向けることができていなかった時期。
そんな時期を過ごした結果は無残なものです。
自分の立場を失い、手のひらを返すように離れていく人たち。ある場所では罵詈雑言を浴びせられ、信頼していた人からも裏切られる。自分のメンタルも崩壊し、全てが負の連鎖。今でも思い出すだけで嫌になります。
しかし、その結果を生んだのは自分自身です。
日々の生活からの気づきも皆無で、ヨイショされて調子に乗って、自分の地位に甘んじて、周りの状況に気づくこともできないほど劣化した自分。周りからすれば疎ましい存在だったと今は思う。
しかし、私に変化を生む人との出会いがありました。それは見た目がムチャコワな取引先の社長(イメージは以下⏬)。
その社長から見た私は、ただのクライアント先のイチ社員でしかありません。ぶっちゃけ放っていてもいいし、何も言わずに適当に付き合っておいても良いわけです。
しかしその社長は違った。
私のダメなところをズバズバ切り込んでくるわけです。おかしな考え方には『なんでや!』『その結論になった理由は何か説明してみろ』とグイグイ来られます。甘えた考えであればビシバシ言われます。
その時は『キッツイなぁ…』と思っていましたが、今思えばその社長との出会いはとてつもなくデカいものだったなぁと思います。厳しくともハートがある男だったように思います。
気づけば思考も変化ていて、周りへの接し方も変わっていました。
気づきとはそれほど大きいものだと思います。そして、気づきとは自分自身が気づける思考を持たない限り生まれ得ないものだと思います。
自分が気づける人間になるにはどうすればいいか?そのように自分を振り返ってみるのも良い機会かも。
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「気づき」をテーマに見つけた本。
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