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皮ふ6

オレンジ色のクリームを塗って10年目の節目の年、私は賭けに出た。
フランスの奥地に療養に行く。それでも治らなければ治そうとするのをやめる。

日本のドラッグストアなどでも売っているフランスの温泉水が皮ふの回復にいいといわれているということを、フランス人の友達をフランスに訪ねたときに彼女の親戚の薬剤師から聞き、その温泉水が湧き出ているフランス奥地の村で療養したい、と思った。温泉水だからクスリみたいに悪化することはないだろう。しかも、フランス人であれば保険適用もされるちゃんとした医療行為らしい。

でも、いくら調べても日本人が行ったという情報は出てこない。

私はオフィシャルサイトを見つけて、フランス語でかかれているサイトから、連絡先らしきメールアドレスを探し、英語で連絡してみた。皮ふの状態を説明し、日本人だけどそこで療養したいということを書いて送って待った。返事が来るかどうかは半信半疑だった。フランスで保険適用の施設が外国人を受け入れているか不明だったし、英語が通じるかもわからない。でもなぜか、ここに賭けてみたかった。なんだか良くなる気がしたから。

意外にも早く、3日後くらいに丁寧な返事が来た。プログラムの概要と、ウェルカムだということが書かれていた。これはぜひ行かなければ。

場所を調べてみると、想像以上の山奥だった。最寄りの鉄道駅から車で2時間くらいだっただろうか。地図を縮小してみてもまわりには山しかない。その温泉水を知るきっかけになったフランス人の友達に連絡して、行くことになったことを伝えると、車で乗せていってあげるよ、といってくれた。

日本からパリに飛んで、パリから友達が住んでいるモンペリエという場所に鉄道で移動した。そこの友達の家に1泊した後、車で療養施設に乗せていってもらった。片道3時半くらいだったと思う。ひたすらくねくねした山道が続く。知らない人の車だったらかなり不安になるだろう。途中、山肌が見える場所があって、ああいう砂にろ過されているからこの辺の水はきれいなんだよ、とその友達が言った。まだ日の高いうちにその施設に到着した。

車から降りるとまろやかでやわらかい空気に全身がふわっとくるまれた。その空気感を羊水のようだと表現する人もいるとのだった。

広い芝生の先に、白く近代的なすっきりしたデザインの建物があって、中に入ると施設長さんが大きな口から白い歯を出して笑顔でむかえてくれた
ようこそいらっしゃいました。あなたは初の日本人ですよ。英語を話す方が今日何人か到着したから後で紹介しますね。一緒にオリエンテーションをしましょう。きっと仲良くなりますよ。

そういうと、さっそく、今日から2週間滞在する、温浴施設に併設したホテルの部屋に案内してくれた
芝生の庭が見える窓のついた、グレーと木目を基調にした質素でセンスのいい部屋だった。

紹介された英語を話す人たちはほとんどイギリス人で、1人だけ、シンガポールから来た女性がいた。
まわりがフランス語の環境の中で英語を話す親近感からか、すぐに打ち解けて話すようになった。
皮ふトラブルという共通点が一層親近感を持たせてくれたのかもしれない

次の日、その施設がある小さな村のカフェでみんなでランチをした。
気持ち良くからっと晴れている。
テラス席に案内されると、みんな口々に言った。
日光があたると炎症が強くなるから日陰の席がいいな
乳製品にアレルギーがあるひと?
ベジタリアンなんだけど、ベジタリアンメニューないかしら?
あ、薬飲まないと。炭酸抜きの水いる人?

堂々と、当然のように、自分の健康上の制約を次々に宣言していく。
後ろめたさは微塵も感じられない
それはちょっとしたカルチャーショックだった。

もしかして私は、自分が健康な「フツウの人」じゃないことに後ろめたさを持っていたのかもしれない
でも、ここではみんな健康ではない。つまりここでの「フツウの人」とは、健康ではない人だ
晴れて「フツウ」の人に格上げとなった
それだけでものすごく気が楽になった
マジョリティーの力だ。

その村でのあいさつは、こんにちは。あなたはどんな皮ふトラブルなの?だった
村には施設と数十件の民家しかなかったから村人を除いて、皮ふが健康な人がいたら不審者みたいなものだ
皮ふトラブルがあることがその村へのパスポートのようなもので、その村においては国籍以上に、その場所に居ていい理由のようだった。
ここでは病んだ皮ふを奇抜な目で見たり、同情の対象にする人がいない。
だって、みんながそうだから。

私ははじめて、傷ついた顔の皮ふを見せるように歩き
皮ふについて聞かれると今日の朝食を答えるように気がねなく答えた。

英語を話すグループにいたシンガポールの子と仲良くなって、週末近くの村に旅行した
とてもパワフルで、仕事もバリバリこなしていて、社交的な人だった
私が勝手に抱いていた「健康じゃない人」のイメージとは真逆だった
通院先では、自分の処方された薬について担当医と対等に納得するまで話し合ったり、治療法について希望を出したりしているようだった
クスリや皮ふのことをよく勉強していて、まるで科学者が薬品のことを話すように、いろいろなクスリの効果や副作用について自分の分析結果を話してくれた
こんな皮ふでもこんな風にカッコよくいれるのか
彼女から自信を得た気がした

肝心の治療の方は可もなく不可もなくだったが、施設に併設したレストランで食べていた毎食のフランス料理が胃を荒らし、消化できないエネルギーのようなものが皮ふから膿のようになって噴き出てきて、未体験なほどに悪化した。
いつもできていた膿の塊は、巨大なべっ甲のようになって顔の4分の1くらいを覆った

最後の日。日本からわざわざ来てくれたからと、施設がハイヤーを用意してくれて、ありがたくその車で近くの駅まで帰った。

この村を離れると、また私は「フツウ」ではなくなって、マイノリティーに戻る。
再び肩に力が入って身体に緊張が戻ってくるのを感じた
でもここに戻ってくれば、この羊水のような村のマジョリティーだ。
もう治らなくても大丈夫

療養期間が終了してフランス人の友達の家に戻ると、友達も友達のお母さんも私の皮ふをみてびっくりした表情をしたが、そのお母さんはすぐに優しい笑顔で、どうだった?と聞いた。
すごくよかったよ、と私が言うと、よかったわね、と返してくれた。
友達は、私にわからないようにあえてフランス語で、全然だめだったじゃない。こんなに悪化して。なんで適当なコメントするのよ、というようなことをお母さんに言ったような雰囲気だったが、お母さんはただ優しい笑みを浮かべて私を見ていた

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