浪速名物いわおこしの由来
閑話休題。
名物にうまいものなし。
という言葉がありました。
子供のころ、大阪名物は岩おこし、といわれたものでした。しかし、岩おこしが大好きという子供は、いなかった。
亀井水調査のため、江戸時代の文献を読んでいて、なるほどと感心したのが、岩おこし名物説の由来である。
江戸時代のなにわ名所番付で、かならず一番になるのが四天王寺。そして、二番が、西長堀の阿弥陀池であった。
長野善光寺の由来である、難波の堀に捨てられた阿弥陀さんの話で、その難波の堀が、この阿弥陀池だと信仰されていた。そのそばで岩おこしを作っていたのが、大黒堂であった。なるほど、阿弥陀さんのご縁で、岩おこしが浪花みやげになったのか。
飛鳥時代初期には、このへんはたぶん海の沖で、難波の堀とするには無理がある。
難波の堀は、飛鳥にある用水路だという説と、やはり大阪の天満橋あたりだとの二説がある。西長堀は今では論外である。
阿弥陀池には、和光寺といういかにも聖徳太子とゆかりありげな寺があり、善光寺の支院とされている。
しかし、江戸時代の名所の一番二番の、四天王寺と阿弥陀池を、今大阪名所と真っ先にあげる日本人はいない。韓国で出版されている大阪のガイドブックには、四天王寺と亀井水は丁寧に紹介されている。内外で観光地としての評価に雲泥の差があるのが、変ですね。
名物で美味しくない代表が、京都の八ツ橋だと、私は偏見をもっている。硬いうえに曲がっていて食べにくい。しかし、生八ツ橋の発明で、八ツ橋の評価は逆転した。
ところが、S店が創業元禄二年だとするのを、不当虚偽表示だと、I店が裁判をおこした。八ツ橋がいつ発明されたのか、I店なりに調査公表すればいいだけで、よそさまの由来に噛みついても、どうなんでしょう。
食べものだけに、古ければ美味しいわけでもなかろうに。