単純な仮説。箸墓伝説
私は、絶対正しい歴史があるとは、信じません。それは、人間の知識の限界をわきまえることです。今現在を生きていて、この現実を理解することさえ困難です。現在を理解するためには、歴史を知らなければなりません。しかし、歴史を見る目は、現在の私の歪みをともない、客観的な事実としては、絶対に現れません。
科学の大前提は、総ての基礎は、仮説である、ということです。そして、仮説は、可能な限りシンプルであるほうがよい。
畿内に初めて生まれた王権は?
神話では神武以前に、ニギハヤヒとトミヒコの国があったという。
一方で、初代王は崇神である、と明記されている。ならば、ニギハヤヒ=崇神、と仮定する。
前方後円墳の起源、箸墓の女神、の名前、ヤマトトトビモモソ=ヤマトとトミは百代に、はその事実を裏付ける。
古事記の古い写本に銘記されていた、崩御年干支から、崇神天皇の没年は318年、四世紀初頭である。ニギハヤヒ=大隕石、という男がやってきたきっかけは、晋書天文志に記録されている268年の隕石による大災害である。
ここには、二重の仮説があります。シンプルさにかけます。
崇神天皇は初代だから伝説の初代ニギハヤヒと同一人物である。
268年の隕石は、西日本から南西諸島の民族移動をもたらす、大災害であった。
この災害で、中国では海軍国呉は弱体化し、沖縄の邪馬壹国も滅びる。
箸墓古墳
なにかと話題の古墳です。最初の前方後円墳、築造時期は三世紀後半。
被葬者は、ヤマトトトビモモソヒメ。この名前ほど、困ったものはありません。舌をかむ。
古事記はトビを省略して、ヤマトトモモソヒメとする。トを何回繰り返すのか、頭はパニックになります。ヤマトトトトト。
石切神社上社で、古代トミの国を知って、すっきり整理出来ました。
ヤマトとトミは百代続く。
古事記はトミを隠蔽します。
そう、神武神話の敵役として語ったトミの国を、ここで再度語ることは出来ない。
ヤマトとトミを和合させた偉大な女王。私のなかでは、すっきりと、ミカシギヤに焦点をむすびます。
箸墓伝説は、その前段のタケハニヤスの乱(たぶん冤罪)の続きです。あらぬ誤解から、内乱を招いた責任にさいなまれ自害した姫。
昼は人が造り、夜は神が造る。
神とは、タケハニヤスの遺民たちのことではないか。
では、姫に死をもたらした、オオモノヌシとは何か。死をもってしか償えぬ判決を下した者はだれか。私は、仮説として、兄のトミヒコではないか、と。
ひとまず、終わります。
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