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亀井の亀形水盤の特殊性

平安時代末まではお堂はありませんでした。慈円などの歌には、月を映す亀井水が歌われています。
見出し写真は、一辺絵伝の亀井堂。お堂というより二つの石槽を囲っただけの小屋。これが初代亀井堂です。

2対1の比率の長円
左上、酒船石
右上、桜井市上之宮遺跡
左下、法隆寺五重塔礼拝石
右下、亀井水

亀井水の亀形水盤が、いかに特殊な存在か。

導水装置に生物をデザインするとき、人間はまずその生物の口から水を出す仕掛けをします。

その常識に従い、明治末に、上の亀の噴水を取り付けられた。1300年間護られてきた姿を、“常識”という独断で、変えてしまった。

亀形水盤の頭を、上の亀の頭が隠してしまったのでわからなくなりましたが、本来は、亀形水盤の頭に水を落とし、頭の空洞から内側の孔を通じて水が流れこむ。

なぜそんな手のこんだ造作をしたのか。

誰が考えても、現在のように、水盤に直接水を注げば済むことです。


亀井とその頭に水を注いでいたもう一つの石槽つまり影向井、その全体の幾何学的構造から、この導水装置は、東の空を映し礼拝する、水鏡であった。

つまり、水面が波立たないようにするための、特殊な工夫であろう。


このような装置は、亀井水と、2000年元旦に発見された飛鳥酒船石遺跡の亀形水盤の、2例が知られているだけです。

左上、亀井水の再現図
右上、飛鳥苑池の噴水装置
左下、飛鳥苑池の導水装置
右下、飛鳥の亀形水盤の導水装置


亀井水アラカルト

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