目の前の亀井水がヘボ詩人を誘う~大阪は歴史宗教都市なんだ!
大阪市には歴史など関係ないという風潮
2000年に発見された、飛鳥酒船石遺跡の亀形水盤。
そして、私が亀井水に出会い、ビックリ仰天したのが、2001年。
ほんのわずかの人が、この二つの亀形水盤は、他に例のない、歴史学的関連遺産だと、気がついていました。
しかし、ほとんどの学者、ジャーナリスト、もろもろは、完全無視しました。
可能な限り資料調査し、亀井水の幾何学的な特徴を観察し、私は亀井水の歴史を確信します。
同時に解明しなければならなかったのは、なぜ無視されてしまうのか、という謎です。
そんな古代遺産が、こんな所にあるわけがない。こんな所とは、大阪市です。大阪市の真ん中に、むきだしで、1400年使い続け、守られてきた、遺産があるはずがない。
大阪市、という街への誤解。
私の亀井水調査は、大阪市に歴史はない、大阪市を廃止しろという不毛な時代に遭遇し、さらに困難なものになります。
平気で、歴史なんかいらんと語られる、この錯誤は、なぜ生まれ、流行るのか。
明治以降の、日本人のアイデンティティーの紆余曲折が背景にあります。たとえば、夏目漱石は、日露戦争に熱狂する日本に、ひとでなしの国、と絶望的診断をくだす。
そんな時代に、亀井水は改造されて、うやむやにされる。
亀井水忘却の近現代のゆがみが、大阪市廃止などというハッタリにのみこまれてゆく。
歴史研究なんてものは、超然としてマイペースでやればいいのですが。しかし、歴史研究という名目で、いかに嘘がまかり通るかも、歴史をかじればすぐに気がつきます。
私は正しい、とは、私は思いません。私も、嘘つきかもしれません。
幸いなことに、私は全く知名度のない、へぼ詩人です。私が嘘つきでも、被害はわずかです。
悪い鬼は強い神様
歴史資料は現代の普通の常識では読みとれないこともある。
法隆寺金堂釈迦三尊光背銘。
この銘文を刻んだ光背は、現存しています。紙に書かれた記録とちがい、金属や石に刻まれた記録は、保存状態がよく、金石文といって歴史学では重視されます。
かといって、そこに記録されたことが、すべて正しいとは、必ずしも見なされません。
たとえば、この銘文の冒頭、法興元という年号は、正式な年号とはみなされていません。
日本の年号の始まりは、日本書紀に従い、大化である、というのが定説です。
無論、法興元を正式な年号だと推理する研究者もいます。
奈良時代から平安時代の初めごろ、法隆寺のお坊さんがまとめた文献「法王帝説」のなかで、この銘文が説明されています。が、すこしばかりとんちんかんなのです。
まず、三十をあらわす、二十=廿に縦棒一つ加えた字を、世、と読んでいます。
一行目の末、鬼、は、星座を意味する二十八宿で、もっとも尊い星座として、たまほめぼし、ともいわれます。あえて、日付を示すのに、縁起の良い、鬼、を用いた。
鬼の日に、前さきの大后、聖徳太子の母君がなくなられた。
ところが、鬼、が日付とは知らないお坊様が、鬼前大后の解釈に、四苦八苦されています。
ただ、鬼とは神でもある、ということは理解されて、弟の崇峻天皇が石寸神前(いわれのかむさき)の宮で政治を行ったから、かもしれないがわからない、と。
いずれにせよ、鬼、は神聖な神を意味した。
また、狂言に、武悪、という作品があります。悪は、わるものではなく、強い、という意味です。
悪い鬼、は、強い神様、という意味になります。
むやみに、鬼退治を鼓舞する、自称正義の味方は、あやしげな奴だと、眉に唾をつけなあきません。