洗脳が解けないのはカルトだけではありません。日々これ思い込み。
カルトに洗脳された人を説得するのがいかにむつかしいか。いかにめちゃくちゃな信念でもそれなりに構築された観念は、たやすく崩れません。
カルトではなくとも、日常的な常識のなかにも不合理だけれども修正できない知識は、いくらでもあります。
2001年私が亀井堂に奉職させていただいた時、亀井水を四天王寺職員ふくめ、亀の池、と呼んでました。これをひつこく修正していたら、いらんこというな、と叱られました。
ともあれ、誤解の最大の源は、目の前の亀形水盤を亀だと気がついていない。ただの長円の水ためだと、みなさん見ていたことです。
生半可な知識のある方は、亀井は明治の大僧正が作られた、決まり!と断言されます。それは、上の亀の噴水だけです。
しかたないから、自分で調べるしかない。
学者はみんな、観察力皆無。
ちょっと調べれば、すくなくとも平安時代以降信仰の対象になってきた聖徳太子像は、亀井水由来の、楊枝御影、水鏡御影、であったことがわかりました。
昭和以降刷り込まれた聖徳太子像は、信仰の対象とされてはこなかった。
戦前のお札の肖像画は、すべて空想図であることは自明でした。
しかし、戦後GHQが聖徳太子は平和主義者だからよかろうと、戦前の肖像画の使用を認めた。
このとき、聖徳太子像のモデルに歴史上信仰されてきた水鏡御影を用いていたら、と残念です。
ともあれ、聖徳太子の話をするとき、肖像画の話や亀井水の話をしても、だれも興味をもたない。頑固な年寄りは、怒りだす。
話がもつれて、聖徳太子論はわけがわからなくなってしまった。
からまった糸をほぐすには、無理にひっぱるとかたむすびになってしまう。
というわけで、亀井水に出会い20年、レポートをまとめだして10年。まだまだ序の口。
歴史はながく、人生もながい。急ぐことではない。
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