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古代寺院の参道の右、東にある池は、亀井水と同じ信仰で造成された
古代寺院に、なぜ池があるのか?といったことはあまり関心を持たれません。亀井水調査から導かれる仮説として、水鏡としての水の信仰に注目します。
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法隆寺、東大寺、薬師寺、中心伽藍に向かう参道右手、つまり東側に、鏡池、と呼ばれる池があります。
実は、昭和の初めまで、四天王寺の南大門の手前、参道の右手には、万代池がありました。天王寺舞楽はこの池のほとりで初演されたと伝わる。今でも、舞楽は池の上にわざわざ設営された舞台で演じられる。
水上の舞楽、それがこの国の芸能の始まりとされる、天王寺舞楽の姿なのである。
古代寺院はなぜ、参道の東側に鏡池を配置するのか。
水と光。聖徳太子の描いた仏教のイマジネーションを伝える古代芸術。
亀井水へ、ご案内します。
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〈朝日を映す水鏡〉亀井水の本質はそう推定されます。
すると日の出の地点は生駒山脈の北端から南端へとめぐります。
生駒は原ヤマト王権、二ギハヤヒと后ミカシギヤの太陽祭祀の山です。その山頂部は、日下(くさか)と呼ばれました。この日下がヒノモト、日本の国名の起源であろうと谷川健一さんは推理されています。
そして、推古天皇も起源の女王の名をいただき、トヨミケカシギヤ、と尊称されることになります。
日出ル国、聖徳太子がそう自負した国の歴史と福祉国家創成の祈りを映す、水と太陽の芸術遺産。
仏教の受容は、太古からの水と太陽の信仰の土壌に、花開きました。
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また、岩船寺の参道の東に置かれた、寺院名の由来となった、謎の石槽も、おなじく亀井水のような太陽礼拝の水盤ではないかと、推測されます。