処暑、亀井水の輝きと聖徳太子の鷹伝説
立秋を過ぎ、台風一過、気温も下がり、過ごしやすくなりました。まだ、あつさはぶりかえすみたいですが。
8月23日は、処暑。
初夏の穀雨とともに、真東の朝の太陽の角度が水鏡としての亀井水をかがやかせる、私の分析によれば、特別な日です。
前日の22日はもちろん聖徳太子の月命日でもあります。
四天王寺には、聖徳太子の魂が白い鷹となり飛来するという伝承があります。そのため、中心伽藍金堂二階の東側欄干に、鷹の止まり木と言う棒を、金堂再建のたびに忘れずとりつけてきました。
なぜ東側か。私の亀井水解釈では、亀井水は東の朝日礼拝の装置。だから、白い鷹は、太陽の使いとして東からやってきます。
さらに処暑の故事来歴に、作物の生育中は害虫を退治してくれた小鳥たちがこの日から実りを食べてしまう害鳥になります。で、鷹が小鳥をつかまえ神に捧げる。と言われてきました。
処暑の日の亀井水の太陽礼拝と、中国の故事と、聖徳太子の鷹伝説が、つながりました。
まだ、私ひとりの説ですから、眉にたっぷりとつばつけて下さい。
秋の古字が、龝、穐、です。
ノギヘンは実りを現します。しかし、なぜ亀なのか。
中国の殷の時代から、今日の日本の宮中行事にいたるまで、豊作を占う、龜卜(きぼく)があります。殷の遺跡から発見された亀甲には、あらかじめ吉徵が出るようしかけがしてありました。占いというより、儀礼です。
秋の実りは亀甲がもたらす。
龝、はそういうことでしょうか。