朝の太陽礼拝の水鏡である亀井水から、冬至の日の出の位置に置かれた磐座が、牛王尊です。水信仰と牛。
写真は昔の牛王尊(石神堂)絵馬ならぬ絵牛を売りながら占いをするお坊様がおられました。この絵牛は今も信仰を集めています。
祗園信仰の牛頭天王が、四天王寺の祭神ではなかったのか、という、大切な質問をいただきました。
まず、昭和の始めに市電を通すために、根こそぎ旧跡を破壊した南大門前に牛頭天王の社、土塔宮がありました。牛頭天王はスサノオとして大江神社に遷座されました。
亀井水のそばに、創建時に使役した牛が石神に変化した、イワクラを地下にまつる、牛王尊があります。創建時、牛頭天王はまだ知られていませんから、別の信仰です。人により、この牛王尊の石神を、霊位たかいイワクラと感じている方もおられます。
おそらく、牛王尊のことでしょう。
また、亀井水からみて冬至の日のでの位置で冬至の太陽石でもある。その証拠に昔は大晦日にお詣りしたと記録されています。
もうひとつ紛らわしいのが、はだか祭りのどやどやで配る、ゴオウ印のふだ。修験のふだです。四天王寺ではヤナギの枝に取り付けますから水信仰のふだです。
地下水の神、龍神としてのスサノオ=牛頭天王が祗園信仰の祭神です。
亀井水から信仰の重層、水と太陽が明晰になります。
牛信仰は秦氏の広隆寺の牛祭りとしても伝承しています。
牛頭天王。
牛王尊。
ゴオウ印ふだ。
整理できたでしょうか。
八坂神社の祗園信仰は、都の東を守る青龍を、地下水の涌く洞窟に祭ったのが始まりでしょう。そこに、仏教の祗園信仰の牛頭天王が疫病よけの神としてまつられ、根の国の神スサノオが地下水の神として習合します。
四天王寺でも、創建時の牛を祀る石神と、祗園信仰が重なるように信仰されてきました。
明治政府は牛頭天王を禁止したため、さらにわかりにくくなりました。