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新年第一報は、おめでたい、鬼のパンツのおはなしで。

見出し写真は、うる星やつら無料壁紙より、ラム。ラム一家はみんな虎皮の衣装です。


うしとら、艮、信仰と鬼。


亀井水は四天王寺中心伽藍の、東北の位置に接してあります。

東北は、方位を十二支で表したとき、丑と寅の間、うしとら、になります。一文字で、艮。

また、うしとらは、鬼門、とされ、鬼、わざわいが訪れる方位とされます。

古代、鬼は神と同義でした。

中国の天文学では、月の軌道上に二十八の宿=星座を定め、日付の印ともしました。

法隆寺金堂釈迦如来像光背銘文に、聖徳太子の母君の命日を、鬼、としています。鬼宿は、タマホメボシ、と呼ばれ、最も神聖な宿とされていました。

鬼門、うしとら、は、わざわいの門であり、神聖な方位でもある。

神と鬼の役割が分化したのはなぜでしょう。

そもそも神には、にぎみたま、あらみたま、の二面性があります。

疫病神を祀ることで、疫病封じをおこなう。

牛頭天王の祇園信仰が、その代表です。

うしとらは、鬼門であるが、神聖な方位ともされます。

丑寅、牛虎。以前、大胆な仮説として、酪農が盛んであった飛鳥時代、うまや=厩、は、うしや、でもあった。うしとら、が、うしとらの仏である多聞天=毘沙門天信仰と重なり、うまやと、聖徳太子の神聖名に転化した、と述べたことがあります。は、ともかく。

やっと結論。

鬼は、うしとらからやってくる。

で、牛の角と、虎のパンツをはいている、のだそうです。

四天王に踏まれる邪鬼。

四天王を支えているのか、踏まれて成敗されているのか、どちらともとれるアマノジャク。

この邪鬼が好きだという人も、けっこう多いようです。

1*法隆寺金堂。

法隆寺の四天王像は、創建当時の四天王寺の四天王像に倣ったのではないか、という推測もある。重要な特徴は、静かな文人の姿であること。邪鬼もおとなしい。

2*その四天王寺の戦後再現された邪鬼も、丸みのある柔順な姿に。

四天王寺の四天王は、戦前まで基壇右側に一列に西向きに並べられていた。そんな奇妙なことをしたのは、天智天皇。唐・新羅に白村江で大敗し、さらなる侵略に怯え、四天王寺の四天王に鎮護を託した。

後には、西方極楽浄土に向くという逆の信仰で、その並びが維持された。

昭和の戦後の再建にあたり、四天王本来の配置に、やっと戻された。

3*東大寺戒壇院の邪鬼。痛そうな。


紅白のふんどしですね

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