あま(天・海)の道、辺野古の天孫降臨幻想+前方後円墳の起源
#クシフル 、亀旨峰、久志岳
見出し写真。沖縄。辺野古の海から見る、久志岳。
右端の三角ピークが辺野古岳、左よりに山頂の久志岳。
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天孫降臨神話の舞台は、一般にタカチホと語られますが、正確には、タカチホのクシフルタケ、です。
宮崎県北部の高千穂山地と、南部霧島連山の高千穂は、よく語られます。
しかし、忘れてはならないのが、朝鮮南部の亀旨峰と、沖縄中心部辺野古の久志岳です。
沖縄最高の聖地である、久高島から、浮原(ウキバル)という小島をへて、島伝いに、辺野古、久志岳に至る、海(アマ)の渡りの道が私には見えます。
久高→久志、のク=亀の道です。
また国生み神話では、九州には日向の国はありません。日向はあとから日向神話の舞台として登場します。もしかしたら、沖縄神話を日向神話として付け加える改竄がなされたのかも。
前方後円墳の起源?
久志岳の山頂部の形は前方後円墳を横から見るようにも感じます。
北谷海底遺跡の巨大ドルメンは蛇を表す長い岩に支えられています。
亀と蛇の全体の規模は、卑弥呼の墓の径百余歩にふさわしいかもしれません。
亀と蛇(龍)の組み合わせ、ひょっとしたら前方後円墳の発想の起源かも。
神々の幻境、#辺野古。アマの渡りと天孫降臨
🐢沖縄に天孫降臨のアマ(天・海)の道がある?
久高島から浮原(うきばる)をへて、久志岳(くしふる・朝鮮神話では亀旨峰と表記)へ。
仏は野に出でよ。神々は渡御なされ。
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仏像は原則的にお堂に祀ります。
道端や崖に、野ざらしでおられる仏もおられます。仏は野に出て、文句は言われません。原始仏教は仏像を作りませんでした。立派な堂舎に鎮座する仏は、権威の権化ともなる。権威が見えるほうが分かりやすい。仏像は、仏教本来の教えからの逸脱ではあるが、布教のための手段として有効であった。
日本人の神々にも、本来神社は必要なかった。神々、祖先は、山川海に、風に光に、あまねく坐=いました。
祭とは、イワクラに神をお招きし、ミコシにのせて共に移動する。その仮の居場所が社となり、仏教の影響で固定した神社となる。
ミコシの移動は、通常の道だけではない。
大阪ではなじみの、川を遡上する天神祭の船渡御。
9月21日から23日の西宮戎の大祭の最後は、海上をゆく渡御祭である。その壮大な様子は平安末期の文献に記録されている。が、信長に領地を没収されてから、四百年途絶えていた。
阪神大震災復興を期に、平成12年復活する。
海の道の目的地は、和田岬。和田とはわたつみのことである。海神、蛭子の再臨の場が、和田岬の海と伝承されてきた。
日本神話のクライマックスが、天孫降臨です。高天原からアマの浮橋をへてクシフルに降り立つ。
アマには、天と海の両義性がある。
ピッタリの舞台が沖縄にもある。
最高の聖地とされる久高島から、島つたいに浮原島をへて、辺野古へ。辺野古は沖縄本島の中心にあたり、そこにそびえるのが、久志岳=くし峰=クシフルである。久高から久志へのアマの渡御。
辺野古は天孫降臨の岸かもしれない。
辺野古の海は破壊されてしまいました。とんでもないアヤマチを犯したのかもしれません。
神々の渡御、というテーマを考えていて、西宮戎の海渡御から、かねてより思案していた沖縄の、久高島から辺野古、久志岳にいたるアマ(海、天)の道という、大胆な仮説を語らせていただきまし
プレート境界の海溝にそって並ぶ島々では、大震災と津波も歴史の節目の運命でしょう。
旧石器時代の人骨や、中国の刀銭が出土するなど、日本最古の文明の痕跡を示しながら、災害により遺物が残りにくいというハンディがあり、かつ稲作農耕を文明の指針とする歴史観からも、離島の文明は把握しがたい。
辺境としての沖縄。最近まで土人という蔑視におおわれてきた、受難の歴史が私の意識をかきみだします。
ヤマトという中心からの視点しかないというのは、淋しい話です。
イズモを平定した天孫族は、なぜかわざわざ日向という辺境に降臨します。しかも、国産み神話では九州に日向の国はありません。この錯綜した神話を古代からの謎かけ、挑戦と受け止めないで、狭義のヤマトに閉塞していて、歴史は語れません。
閉塞の極みは、奈良京都にのみ歴史の本流があり、大阪は傍流にすぎないという、まるで家庭内暴力のような退廃。亀井水にしても、法隆寺にあれば超一級の遺産とみなされたでしょう。大阪だからマガイモン扱いをされた。
参考までに、大阪市の四天王寺にある、亀井水の写真。