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亀井堂でお客様から、京都市伏見区に亀の石像仏がある、と教えていただき、水の豊かな酒どころ伏見を歩き回りました。そして注目すべき手水鉢色々。

中国、朝鮮で、亀の造形といえば、まず亀趺(きふ)です。

京都伏見区に大きな亀の像があると聞いて、探しあてたのが仏国寺の亀趺でした。江戸時代。

水の歴史調査に、まず城南宮。京都市伏見区。このあと、藤森神社、御香宮、と水を求めて、みずミズみみず、とはいまわりました。平成19年。



京都盆地の地下水は、琵琶湖に匹敵する水量であろうと言われています。

#手水鉢シリーズ、

一時、手水鉢愛好家グループを作ろうかと、考えたことがありました。

寺社詣りの投稿は多いです。しかし、手水鉢に注目し、裏まで見て設営時期や寄進者の確認をする怪しい人は、私ぐらいであろう。

大概、明治以降の類型的な手水鉢である。

まれに、貴重な石槽にであう。

長谷寺手水鉢は、特に貴重な例である。長谷寺参詣の投稿で、この手水鉢に注目する人はまずいない。しかし、お寺本坊も謎の石槽と気がついてられて、資料として記録されていた。お訊ねしたら、コピーを下さいました。



長谷寺本坊事務所に手水鉢についてお伺いしたら
やはり大切な文化財と認識されておられ
図面を下さいました
南北朝時代の遺産です
あるいは飛鳥時代かもしれない

神峯山寺(かぶさんじ)(高槻市)の蓮の葉形手水鉢は、美しい。

藤森神社(京都市伏見区)の手水鉢は圧巻。


御香宮(伏見区)の手水鉢は、宇治川の石塔の一部であった。



町中の小社、大阪市鶴見区の住吉神社の手水鉢は、立派な陰陽石を台座にしている。



陰陽石、写真回転

江戸時代、浪花名所番付、一番は四天王寺。
二番は西区のあみだ池。長野善光寺の支院がおかれ、阿弥陀浄土信仰の名所に。近くの和菓子屋あみだ池大黒の岩おこしは、浪花名物の葬式菓子として有名になった。



他の立派な本堂本殿石像石塔には目もくれず、ひたすら手水鉢を追及する人が多ければ、グループつくろうか。いや、やめとこ。

終戦直後、空襲で焼け落ちた四天王寺伽藍のなかに
残された西門手水鉢の初代石槽
府文化財課に残る記録による寸法形状などの幾何学的設計から
亀井水の影向井を転用したものとわかる
本物は破壊されて消失
現在は三代目のレプリカ



現在の四天王寺西門手水鉢
三代目レプリカ

奈良県桜井市の上之宮遺跡は、聖徳太子が斑鳩に転居するまで住まわれたご自宅あと。そこから、日課とされた朝の東の空を礼拝するとき、そこにはトミとヤマトの古代からの祭祀の山、鳥見山がある。
その山麓の等彌神社は、ひそかにニギハヤヒとトミヒコを祭る?と私は推測する、ふたつの本殿がある。
手水鉢にはちいさな亀の置物が添えられている。

等彌神社手水鉢
なぜ亀が置かれているのかと宮司さまにおたずねしたら、縁起がいいから、と。


等彌神社入り口

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