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アルコール依存症の由緒ある小理屈
見出し写真は、北越後通信、よりいただきました。
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小理屈で政治を振り回す劣化した時代に、まだアルチュウの自尊心のほうが人間味がある。
写真は、大阪梅田、太融寺。ボケ封じ観音。不動明王奥の院。
で、話は、ボケ封じのご利益をいただいて、依存と依存症について。
アルチュウが一般の精神科医から嫌われていたのは、入院させて酒が抜けると、普通の人にもどって、屁理屈いうからだと、なだいなださんが書いていた。アルチュウ仲間で、きわめつけの理屈が語り継がれ、それを勝ち誇ったように主張する。けっこう面白い。
「酒呑みが依存症やったら、人間みんなごはん依存症やないか」
ここには三重の論理のトリックがある。
酒呑みがみんな依存症ではない。
ごはんにも、過食症、拒食症、などの食欲異常がある。
依存は、すべての生き物は依存によって生きている。その依存が制御を失い死に至るのが依存症である。
人間が半端な自尊心から生み出し、伝播する、小理屈には、この程度の論理のすりかえはつきものである。発言する本人は、勝ち誇っているから、面白い。
「じいさんがさんざん酒くらって酒やめいうのはとうぜんやないか。おれはまだ30才や、酒呑む権利がある」
30才でも、死ぬ病気やで。
理屈は言ってみるものである。だまっていたらわからんままで、スルーしてしまう。
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