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AIと仲良くして気づいた10のこと

前回のnoteでは、バーチャルアイドルスタジオ事業について書きました。人間とAI、リアルとフィクション、オフラインとオンラインの融合によって、アイドル活動を通じて、現代社会の課題である孤独、退屈、不安を解決していくという内容でした。

この事業は、僕たちサンゾウとしては、超実践的なAIによるアウトプットの場でもあります。僕自身も日々様々なAI技術に触れ、色々な可能性を広げています。今回は、そのような日常の中で感じたことをまとめてみました。AIに詳しい方には当たり前の内容かもしれませんが、いつも通りで、誰かの何かの参考になったり、自分自身のログとして残しておきたいと思います。

Claudで箇条書きにしてみた。

内容が長くなりすぎたので、AIに文章を読んでもらって、先に僕の気づきを箇条書きにしてもらった。すごい当たり前のことも書かれているのだけれど、あくまで僕が体感レベルまでしての気づきだということも補足させてください。

• AIの時代が到来し、人間とAIの共創が一般的になる
• AIによる変化のスピードが速く、以前のように「逃げ切る」ことは難しい
• 人のマネジメントと同じようにAIをマネジメントする能力も重要になる
• AIの活用により、企業のコスト構造や人材配置が大きく変わる
• 今の写真や動画の加工と同じ感覚でAIは使われていく
• AIの利用は自己肯定感を高める効果がある
• インターネット空間自体が既にメタバース的な存在になっている
• パクリと学習の違いはAIも人間も同じ
• AIと意識的に向き合わないと時代に取り残される
• 現在の AI による変革は産業革命や明治維新に匹敵する

これらの気づきは、AIが社会や個人に与える影響の広範さと深さを示しており、作者はAIとの共存や活用を前向きに捉えつつ、その影響を多角的に分析しています。

では、それぞれ詳しく書いていこうと思う。


言うまでもなくAIの時代になる

どこまで各々が意識しているか違いはあれど、これからは間違いなく人間とAIが共創する時代がやってきます。ただし、これまでにもインターネットやロボットなどと共創してきた歴史があるように、共創自体は今までも繰り返されてきました。

何かが共創していくような時代の変化には必ずハレーションがつきものです。例えば、今のイラストレーターにとっては、長年かけて培ったスキルがAIによって一瞬で凌駕されることは大きな衝撃といえます。しかし、今の子供たちが大きくなる頃には、AIを活用して作品を作り、それを整えるというクリエイションの流れが一般的になるでしょう。もちろん、純粋に絵を描くことが好きな人も存在し続けるでしょうし、人間だけが描いた絵の希少性が高まることも考えられます。

AIの社会浸透を防ぐために法律などで規制しようとする試みもあるかもしれませんが、それはインターネットの規制と同様に難しいでしょう。技術の進歩を制限することはできません。どこかの国のネット事情のように、規制があってもVPNを使って世界と同じ環境でインターネットにアクセスする人々がいるように、AIの技術も同様に制限されることなく進化し続けるでしょう。

逃げきれないスピード

以前であれば、時代の変化が緩やかだったため、例えば50歳でもその変化に対して逃げ切ることができました。しかし、現代では変化のスピードが非常に速いため、逃げ切ることは難しいと言えます。

これからは「練習」の概念も変わっていくでしょう。ゼロからイチを生み出す練習よりも、イチをブラッシュアップする練習が重要になるだろう。

AIは、今のインターネットと同様に、無意識レベルで身近な存在になっていく。AIを開発する企業がそのレベルまで持っていくだろうから。一方で、そのAIを使って組み合わせ、企画し、さらに昇華させていくことも進化していくでしょう。インターネットも同じで、エンジニアレベルの知識は一般の人には関係ないかもしれませんが、エンジニアの能力があれば、さらに高いレベルで物を作ることができるわけで。

AIをマネジメントする能力

これからの時代、人をマネジメントするのと同じように、AIのマネジメントも重要なスキルとなるでしょう。毎日のように新しいAIツールが登場しています。もちろん、これらのツールは淘汰されていくものもありますが、いくつかは生き残るでしょう。それぞれのAIには強みと弱みがあり、弱みだけを見て「ダメだ」と判断する人もいるでしょうが、強みを見つけ出してそれを活かして活躍させる人もいる。このようなAIのマネジメント能力は、今後ますます重要になっていく。

これは個人の能力についても同じことが言えます。私たちにはそれぞれ強みと弱みがありますが、その弱みをAIに補ってもらうことが可能といえる。特に、ChatGPTのような効率系AIツールは、このイメージがつきやすいでしょう。ちなみに、MidJourneyのようなクリエイティブ系AIツールは、単に弱みを補うのではなく、能力を拡張させるイメージに近いかもしれません。

このように、AIを活用することで、自分の弱みを補強しつつ、強みをさらに伸ばすことができるのです。AIと人間が共創する時代において、このマネジメント能力は極めて重要なスキルとなるでしょう。

企業の在り方も変わってくる

AIの時代において、企業のあり方も大きく変わるでしょう。僕が経営するようなベンチャー企業や零細企業、スタートアップなどのゼロイチ系の企業では、初期のコスト構造が劇的に変化します。例えば、費用を従来の1/10程度に抑えることができるかもしれません。一方で、大企業では純粋に必要な人数が減少するという言い方の方が正しいかもしれない。例えば、10人の部署があった場合、コアな3人とAIを利用して作業をする2人がいれば十分になるかもしれません。

僕自身も遊びがてらで、AIを活用してたくさんのダンス動画を作成しました。好奇心旺盛な性格なので、これまでの人生でダンスに挑戦してみたいと思ったことはありますが、恥ずかしがり屋なので実際には踊ったことはありません。しかし、AIを使えば自分が巧みにダンスをしている動画を一瞬で作成できます。これを見ていると、自分自身がダンスを上達させるという欲求が薄れていくのを感じます。将来的には、もしかしたら人間は純粋にダンスが楽しいという価値観が薄れて、踊ること自体が少なくなるかもしれません。間違いなく商業的に踊る必要がある場合には、AIを利用してアーティストに踊らせることで解決してもよいという選択肢は当たり前になると思う。

このように、AIの進化は企業のコスト構造や人材配置に大きな影響を与えます。そして、私たちの趣味や興味にも変化をもたらす可能性があります。AIと共に歩む未来において、企業と個人のあり方は大きく変わるでしょう。

加工という概念の変容

Photoshopで写真を加工することは、すでに長い間一般的です。そして、数年前からは女性を中心に、写真だけでなく動画の加工も一般的になってきました。この延長線上に、AIの利用も位置付けられるでしょう。

僕のダンス動画の例を挙げると、私の肉体の静止画だけが本物であり、それ以外はすべて加工されています。AIが使いやすくなるほど、こうした加工の方法は一般的になるでしょうし、その中で高度な利用方法を見つける人々も出てくるでしょう。VTuberの世界で言えば「バ美肉」のような現象。すでに一部の人々からは認められ、社会的にも人気を博しています。

AIが普及することで、写真や動画の加工が、ますます高度かつ手軽になる時代がやってきます。それでも、数年後には今の加工アプリなどを使う感覚でAIを使って加工したり表現を拡張したりすることが一般的になっているでしょう。

みなさんはAIを普段どのぐらい利用しているのだろうか。

会社としてAIを導入している企業も増えていると聞きます。遊び感覚でワンクリックぐらいは試したことがある人も多いでしょう。AIのみではまだまだ完璧とは言えず、クリエイティブ系AIについては人間の手を加えることが、クオリティアップとしては現在のポイントだと思います。そう考えると、結局は能力の積み重ねが重要です。

AIを使った時の感覚

僕は自己否定型のタイプで、自分で意識しなければ「自分はダメだな」と思ってしまうことがよくあります。だからかもしれませんが、AIを利用していると自己肯定感が高まる側面があると感じます。なぜなら、数時間前にはできなかったことが、AIを使うことでできるようになるから。上手なイラストを生成したり、ダンス動画を作ったり、これらが即座に実現できるので、自己肯定感が非常に高まります。特に、生成AIは最初は絶望から始まることも少なくなく、最初はうまくいかないことが多いですが、そこから微調整を重ねていく過程で、自分が成長していると感じることができます。これにより、全体的な自己肯定感も向上します。

このような経験を通じて、AIを使うことに対してポジティブな感情が芽生える人間心理があると思います。AIを活用することで、自己成長を実感し、自分を肯定できるようになるのです。この感覚を知った人は、AIに対して良い印象を持つようになるのかもしれません。

インターネット社会こそがメタバース空間

僕はAIを駆使し、Twitterを積極的に運用しているうちに、ある感覚に陥りました。メタバース空間と聞くと、キャラクターとなって仮想空間で話すようなイメージが浮かびますが、インターネット自体がすでにメタバース空間なのではないかということです。

Twitterはよく「幻想」「虚構」「フィクション」だと言われます。実際に会ったことがない人々が、本当のことを言っているのかどうかも分からない状況が多いからです。アカウントのプロフィールを見ても、それが本当かどうかは判断できません。そして、このような状態をあえて楽しんでいる人も多い。これからは、良い意味で、「幻想」「虚構」「フィクション」が進化していき、今まで以上に現実と混ざり合う世界、それがインターネット空間となっていくのだと思います。このようなインターネット空間の進化が、AIによって進んでいくのだろうと考えられます。

本当の僕を知っている人はいるのか

例えば、Facebookの中に、僕のことをよく知っている人もいますが、その人たちは過去の僕を知っているだけです。ビジネスで一度だけ会ってFacebookで繋がった人もいれば、全く知らない人もいます。もはや僕の存在はFacebook上の情報に過ぎず、近況を知るのもFacebookを通じてです。そのFacebookの中の僕は本当の僕なのか。

今までも不正確な情報や不確かな存在に対して、PCやモバイルの画面越しに向き合ってきたわけですが、それが急速に顕著に複雑化していくと感じます。

既視感のある

僕の人生で今と同じ感覚をもった時が、過去にありました。現在、AIを完全に活用しようとすると、コントロールが難しかったり、どのように導入すべきかを考える必要があったりします。そのため、軽く触っただけでは十分に使いこなせず、基礎力がないとAIは結構ポンコツに見えることがあります。その結果、AIを小馬鹿にする人も少なくありません。意図的に大喜利的な生成を楽しむ場合は別として。

この感覚は、僕が中国に興味を持ち、上海に移住した時と同じです。当時、中国を小馬鹿にする人も多くいました。ただ、いつの間にか中国が前を走るようになっていました。もちろん、すべての面でそうではありませんが、中国がリードしている部分があるのは事実です。同じように、AIを小馬鹿にしたり、スルーしていると、いつの間にかAIが前を走り、もはやAIをマネジメントすることすら難しくなる時が来るでしょう。

それは学習なのかパクリなのか

AIの利用において、著作権の問題は避けて通れません。人間が描いた絵をそのまま使って生成するのはNGだと思います。しかし、AIは多くの著作物を含む情報を学習して生成しているため、AI自体がダメだというのは、私個人としては非常に違和感があります。

例えば、現在有名な漫画家も、たくさんの漫画を読んで模写したりして、自分の作品をアウトプットしています。どこまでがパクリかパクリではないかという議論は、人間同士でも同様に存在しており、人間とAIの関係でも同じことが言えるでしょう。

先日の高橋洋子さんのイベント辞退についても、気持ちは理解できますし、イベント主催者もイラストレーター界隈でのAIに対する炎上を考慮すべきだったと思います。しかし、最も重要なのは、ファンやイベント参加者への考慮です。このイベントは実施されるわけですし、高橋洋子さんを尊重するためにも、この対処方法は唯一の選択肢であり、良い判断だったと思います。

著作権問題は今後も議論が続くでしょうが、AIと人間の創作活動が共存するためには、新しいルールや理解が必要です。クリエイティブな分野での進化を阻害しないためにも、バランスの取れた対応が求められるでしょう。

時代に取り残される人

身近な例を挙げれば、電子マネーを利用しない人は、時代に置いていかれる可能性があります。もっと以前で言えば、SNSを利用しない人は、インターネットという世界が存在しない時代を生きているようなものです(これが悪いことかは別の話)。

現在からAIを意識しないでいると、時代の変化に取り残されるか、不具合に直面する可能性が高いでしょう。人間は日常の変化に対して抵抗感を持つ生き物ですから、自分自身が意識的にAIとどう向き合うかを選択することが重要です。最終的には、自分自身の人生なので、自分で決めればよいし、それを正解にすればよいのです。

もちろん、AIの機能によっては一般社会に溶け込んで、無意識レベルで使用するようなものも多くなっていくでしょう。ただその中でも、最も不幸なことは、何も決めずに変化のスピードが速い世界で取り残されてしまうことです。変化に対応するためには、積極的に新しい技術や考え方を取り入れる姿勢が求められます。AIが普及する現代において、私たち自身がどのようにAIと共存し、活用していくかを考えることが、未来に向けての重要なステップとなるでしょう。

産業革命や明治維新

僕たちは今、まさに産業革命や明治維新のような大きな変革の時代に生きています。過去の変革の時代にも、否定派と肯定派が存在し、変化についていけなかった人も多かったことでしょう。しかし、世代が変わり、価値観も変化しながら時代は進んでいきました。

歴史の教科書を読みながら、当時の出来事にロマンを感じた人も少なくないはずです。そのロマンと好奇心を持ちながら、今の変化を楽しめばよいのかもしれません。もっと身近な例を挙げれば、ドラえもんの道具を使ってみたいと思ったことがあるでしょう。実際、今の時代には、ドラえもんの道具のような技術が既に存在しているのです。

僕自身、もう若者ではありません。歳を重ねると、好奇心が薄れたり、フットワークが重くなったりすることもあります。多かれ少なかれ誰もがそうでしょう。AIに関しても、新しいことなので、やはり個人的には学ぶことに苦しさを感じるときもあります。しかし、健康のために運動をするように、私は人間として劣化しないように、さらには成長するために、日々AIを学んでいこうと思います。

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