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美味しい話 コロナが過ぎたら絶対に行く!! 閑話4 ふるさとの思い出 1960年代 2
ふるさとの思い出 1960年代 2
近所の銀座で良く外食をしていたが、たまに淺草へ行くことがあった。田原町の来應寺さんに墓が有り、墓参りへ。参拝が終わると浅草を散策する。強烈に記憶があるのが天津甘栗。雷門通りに面している小さな売り場。どこぞの店の一角を借りて天津甘栗を売っていたのかも知れない。美味しい甘栗だった。ここのおやじさんはがんだかの病気になってお亡くなりになったそうだ。あの天津甘栗はまた食べたい。
淺草では 泥鰌の老舗 飯田屋さんの近くに確かトンカツ屋があって、そこはよく通った。店の名前も場所も記憶から無くなっているが飯田屋さんの近くという記憶はある。
当時はフーテンの寅さんみたいな啖呵売をする香具師が珍しくなかった。一人の香具師が顔見知りで何故か知り合いだった。だからサクラでは無いが、啖呵売をしている商品を買った記憶がある。子供にとって香具師の存在はよく分からなかったが、親切なおじさんという印象は今でも残っている。
2020年4月に商いを止めてしまった歌舞伎座前の木挽町弁松(正確には 辯松)の弁当、特に「つとぶ」は好物だった。祖父が大正時代に鍼灸師の修行をしていたのが木挽町。だからなのかうちは木挽町で買っていた。
江戸の味、東京の下町の味、そのあ甘辛さは強烈に舌に残っている。 日本橋弁松とは味が異なるのは明白。日本橋と木挽町、どちらがどうとかは個人の好み。自分は木挽町の味に慣れ親しんで育った。
その祖父が好きだったのが銀座というか、新橋というか、その境目にあった橋善。橋善ももうない。調べてみたら2002年に商いを止めてしまったとのこと。となると、最後に食べたのは40代の頃だったのか。
橋善の大きなかき揚げは銀座の名物だった。胡麻油で揚げる江戸前の天ぷら。美味しかった。橋善の跡地には橋善ビルが今でもある。
子供の頃の思い出として未だに謎なのが、両国のキッチンライオン。キッチンライオンのハンバーグは煮込みハンバーグで卵でとじた感じの珍しい物だった。ステーキもフライ物も全てが好物だった。
土産にすると経木の箱にアルミホイルを敷いてその中にハンバーグが入っていた。とにかくここのハンバーグは美味かった。
キッチンライオンのおやじさんとうちの父親が立ち話をしていた記憶がある。父親の仕事場の近くで二人が話していた記憶なのだが、この記憶が本物なのかどうか? もう分からない。二人がどういう関係だったのかも知らない。ただキッチンライオンのハンバーグの味はずっと残っているし、あのハンバーグを引き継いだ店が何処かにないのか? 時々探している。
※写真は東京商工リサーチより https://www.tsr-net.co.jp/news/analysis/20200402_01.html
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