庭のばらと本のなかのばら
庭の古いばらの木は、虫がついても、大量に葉を落としても、翌年にはあたらしく枝を伸ばし、うまくいけば花束のようにまとまって花を咲かせる。そのいかにも赤という鮮やかな赤い色のばらを見ると、『ナイチンゲールとばらの花』を思い出して、ちょっと悲しくなる。
学生の恋心を信じたナイチンゲールは自分の命を使って一輪の真紅のばらをつくりだす。その美しいばらを、学生は躊躇なく摘み取り、結局は感情に任せて捨ててしまう。淡々と進む短いお話だが、そのばらの花の印象は強く、どんなにか美しいだろうと想像させる。
ナイチンゲールがいなければ花を咲かせることができなかったこのばらの木が、その後どうなったかは分からないが、『秘密の花園』ではほとんど自然に任せていても、美しいばらの花を咲かせることができた。子どものころから好きなお話で、何度か読んでいる。でも、自分がばらを育てるようになって読むと、それまでとは全然違うことを思うからおもしろい。
十年ものあいだ満足な手入れをしていなかったばらたちは、本当に子どもたちの手でどうにかなるものなんだろうか。わたしは大人だし庭は狭いけど、毎年四苦八苦している…。こっそり世話をしていたというベン・ウェザースタフも二年は放置しているわけだし…。つるばらなんて上に伸び放題、木立のばらだって大木になっているんじゃないか…。いやいや、フィクションなんだから、剪定やら虫対策など細かな事情はどうにでもなるか…。
ともかく、子どもたちは庭をよみがえらせ、引き寄せられるようにコリンのお父さんが帰ってくる。秘密の庭のばらの花は、「おかえり」とにっこり迎えてくれそうだ。
ばらの花のやさしい声が聞こえてきそうな場面は、『はてしない物語』にもある。物語の後半、バスチアンが記憶を失いながら旅を続けるうちに行きつく「変わる家」。その周りにはばらの花が咲き乱れている。長いお話のなかでバスチアンが穏やかに日々を送る貴重な場面であり、読んでいるこちらもほっとする。でも、ばらの花が広がる光景はファンタジーすぎて、ばらを食べる虫はいないの? という疑問も浮かばない。うちの庭のばらを『秘密の花園』のばらっぽくしたい! とは思えても、「変わる家」のばらをわが家の周りに少し再現したい、とは思えない。
ところで、『窓ぎわのトットちゃん』にもばらに関する一文がある。
「トット助! バラの花についてる象鼻虫を取るの、手伝ってくれない?」
パパだけはトットちゃんのことをトットちゃんではなく、トット助と呼んでいた、という話のなかで、でてきた象鼻虫。これ、いわゆるバラゾウムシのことね。ばらの世話をするようになって身近になった虫が、こんなところに登場していたなんて、なつかしい友人に会ったような感動を覚える。もちろんバラゾウムシは友人とは程遠く、ばらの敵なんだが。それに、とうぜん自分が知らなかっただけで、昔からいた虫には違いないが、数十年前にもばらにくっついていて、やっぱり取り除かれていたという事実がなんだか新鮮。
ばらを育てるようになってから、本の中の世界が少し違って見えてきた。
【今回登場した本たち】
・オスカー・ワイルド『幸福な王子』(西村孝次訳、新潮文庫)
*「ナイチンゲールとばらの花」はこの短編集のなかにあります。
・F・H・バーネット『秘密の花園』(猪熊葉子訳、福音館書店)
・ミヒャエル・エンデ『はてしない物語』(上田真而子・佐藤真理子訳、岩波少年文庫)
・黒柳徹子『窓ぎわのトットちゃん』(講談社)