年末年始フィーバー
2022/01/08(土)
今日手帳を整理していたら、12/17(金)〜の約3週間のうち2日間以外は、人と会って大きめの用事をこなしていたことが分かった。
これは私にしては、とても好調だというしるしだ。
この期間途中で疲れすぎて泣いたり、ちょっと頭がおかしくなることはあったものの、料理や計算はいつもよりできたし、予定があることで気分が落ちることもなかった。
しかしながら予定がなくなった日以降、数日間頭痛と嘔吐と体のきつさに苦しみ、肝心の診察を休んでしまった。
だが今日になると、散歩に行く元気が戻ってきた。そして明日からはもっと元気になるような気がしている。
休めば、特によく眠れば元気になる気がする。
この現象はとても不思議でならない。
前回の診察での大きな悩みは、人と会うと疲れるし調子を崩すということだった。
できるだけ人に会いたくないから、人間関係を超スリム化すると宣言したのだ。
それなのに前回の診察以降、毎日のように人に会ってそれなりに元気でいる。
これはどういうことなのだろう。
確かなのは、宣言を撤回した訳ではないということだ。
人間関係を超スリム化すると言っても、家族と親友には会うとも言った。
そして毎日のように家族や親友と会ったのだ。
その関係が、回数と内容ともに濃厚すぎたのだ。
そこが問題だった。
普段なら体調不良を断ることでも、元気だしできそうだからといろいろ付き合ってしまったのだ。
その結果、嘔吐と頭痛で寝込むくらいの代償でいられるなら悪くないと思えるほどの活動だった。
しかしそう考えることこそ一番の問題だと思う。
なぜなら、私の本来やるべきことが何もできていないからだ。
今私がやるべきことは、自分の生活を安定させることだ。
そのために体調管理や勉強ややるべき仕事がある。
人間関係を濃厚にして、体調を崩している場合ではない。
全てに優先して、体調は崩してはならないのである。
確かに人間関係を濃厚にすることで得られたものは大きい。
それは家族との大切な時間を過ごすことができたことだ。
しかし過活動の代償として、私が体調を崩したことを家族は知っているか?助けてくれたか?
否だ。
代償を一人で抱え込むのは健康的ではない。
さらに負の面は、人間関係を濃厚にすることで、家族にさらに頼りにされるようになったことだ。
例えば私が体調不良で診察を休んだ次の日、家族は診察を休んだことを知りつつ、私が病院に付き添ってくれるのを当然だと思っていた。
そして私が付き添えないと伝えると、家族は病院に行かなかった。
そういう形で頼りにされると責任を感じる。
しかし改めて自分に言い聞かせる。
今私がやるべきことは、私も家族から自立することだ。
私が健康でいられる距離感を保ち、本当に必要なときに家族を助けられる力をつけることが一番大切なことだ。
だからこそ今は、家族に限らず人間関係をドライにする。
さて、次回診察では人間関係の数ではなく、つながりもドライにすると宣言しないといけない。
年末年始フィーバーも冷めてきた。
これからは自分に言い訳ゼロにして、自分の生活をがっしりと安定させていきたい。
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