見出し画像

積極的に生きる=危機に備える


2022/01/28(金)


自分にとってあまりにも突然なことだが、ベランダ菜園をはじめようと思う。

これから起こり得る食糧危機に備えるためだ。


きっかけは先日ある友だちに会ったことである。


友だちと会って、コロナ禍で感じていたもやもやや不安、世界や地球の変化や(先日の地震がとても恐かった)今までとは違うリアルな危機感についてなど、本当に久しぶりにゆっくり時間をかけて話すことができた。


改めて考えると私の周りでも最近では、そういった話題についてあまり話さなくなっていた分、私は漠然とした不安を溜め込んでいたように思う。


友だちと話したのは、
コロナ禍で加速したドライな人間関係、不景気や政治不信などのよって、世の中が殺伐としているように感じること
コロナ禍での変化が影響していると思われる自殺が増えていても、コロナ感染の死亡者だけ日常のニュースになる現実
高齢者施設や学校でコロナ感染対策を徹底したことで、人間らしい生活がそぎ落とされたことに対する無念さと悲しさ
などについてだ。

(言葉にすると堅苦しいが、話すトーンは全然暗くはない。)

さらにこれらの状況はコロナの終息で解消されるのではなく、むしろこれから人同士の争いや自然災害といった規模の大きな危機が襲い、暗く困難な時代がくる可能性があると友だちも感じているようだった。


平和な時代に平和な環境で生きてきた私にとって、こんなことが起きることについて考える時が来るとは思わなかった。


しかし1000年単位で歴史を振り返り、新種のウイルスの流行やそれによる食糧危機や自然災害、戦争などが何度も繰り返されてきたことを改めて考えると、これからの危機は本当に起こり得る事なのだと理解できる。

だからこそ、食糧危機に備えてベランダ菜園をしようという発想に至ったのだ。



しかしふと自分は、こんな暗い話題を友だちと話しても全然気持ちが落ち込んでいないことに気付いた。

というよりむしろ本当に暗い時代がきても、私自身の未来に対してはなぜか明るい希望を持てているのだ。

そして困難の中でも前向きにたくましく生きていけるような気がしている。

この気持ちはとても変で違和感さえ感じるが、その暗い時代を覆うことができるくらい強く突き抜けた明るさような感じがする。


そんな気持ちになれたのは、この友だちの影響が大きいと思う。


友だちはここ4年くらいの間に、立て続けに火事や自然災害に見舞われ本当に大変な時期を過ごしてきた。


それにもかかわらず、今もなお明るくたくましい姿を見せてくれている。


友だちにその理由を聞くと、周りの人たちに助けられてきたことがとても大きかったと言った。

そして特に旦那さんと協力し合えたことが一番よかったそうだ。


それを聞いて私は、私の周りにも助け合える人間関係があること、そして信頼できるパートナーがいることを幸せに思った。


そして一番重要なのは、困難の中にいても自分は一人ではなく、誰かと助け合っていると思えることだと思った。

それが困難に立ち向かっていく上で、一番の希望になるのだと思う。


また私のこの明るい気持ちの源は、私自身生きることに積極的、もしくは意欲的になったことだと思う。

病気になってからずっと死にたいと思っていた私にとって、これは本当にすごい変化だと思う。

それはひとえに治療のおかげであり、自分の病状がよくなったからだ。

そして基礎的な体力の向上や精神の安定が、体自体の活力を生み出し、サバイバルしてでも積極的に生きようという気持ちに繋がっているように感じる。


しかしながら厳密に言えばまだ、生きていることは無条件にすばらしいとか、この瞬間のために生きてきたのだとは思えるまでには至っていない。

生きていることを素直に肯定できない部分も残っている。

しかしそれでも少なくとも、私の人生は生きていることが前提で、日常的に生死について考えなくてもいいのは幸せだ。

生きているのが当たり前の土俵にやっと上がれたことが、自分の困難に立ち向かう活力と未来への明るい希望につながっているのだと思う。



今日から私はベランダ菜園をはじめてみようと思う。

食糧危機に備えるにしてはとても小さなことだが、私はちゃんと食べられるものを作って、野菜くらいは自給自足できるようになりたいと本気で思っている。

でもその積極的に生きようとしている自分の内側は、危機を憂う暗さより強く明るい色を放っていると思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?