主治医の退職
2022/02/03(木)
私の主治医が来月退職するそうだ。
あまりにも突然のことで、ショックから抜け出せない。
今の主治医のおかげで、私はここまで良くなることができた。
ここまで良くなるまでの経緯を振り返ると、かなり壮絶だ。
そして今、私が自分の未来に対して淡く楽観できるようになったのも、ピンチのときはこの先生がいるという前提があるからだ。
それほど私にとって今の主治医の存在は大きい。
しかし嘆いてばかりはいられない。
今、私がするべきことは次の主治医を探すことである。
しかしながら、次の主治医を探す上で大問題がある。
それは私自身、次の主治医に何を期待するかが分からないことである。
言い換えるなら、自分自身どこまで良くなりたいか、もしくはどこを合格ライン(寛解)とするのか分からない。
今の安定した病状からさらに上を目指すのか、それとも今を基準に人生設計をするのか分からないのだ。
そんな状態で主治医を選ぼうとしても、なんだか手当たり次第のような雑で失礼な感じになってしまう。
そして実際、悩んでいる暇は全然ない。
こんな問題が生じている原因は、私が主治医に全般的に依存しているからだと思う。
今の主治医に担当してもらう以前、私はうつ病と診断され極度の肥満状態であり、自殺未遂を繰り返していた。
今の主治医になってからどんな治療をしてもらったかここでは書きつくせない。
簡単に書くならば、主治医のおかげで薬はもちろん生活習慣が大きく変わり、行動認知療法(だとはっきり聞いたことはないが)によって自分を苦しめていた考え方が大きく変わり、今では幸せを実感できるまでになったという感じだろうか。
今の主治医の治療の特徴は、体調が大きく崩れてもそれを教訓やバネやチャンスに変えて、人生のステップアップにつなげてくれることだ。
その過程では厳しく鍛えられることも多いし、私自身良くなりたいという闘争心を駆り立てられることもある。
比較的穏やかだった前回の入院でも、入院の目的や薬を増やすか生活習慣を整えるかについて主治医と3時間以上の議論をした。
その結果、生活習慣改善のために私はダイエットに取り組み、1.5ヶ月で10㎏減量することができた。
ダイエットの結果を出せたことで、心も体も整えることができ、今の安定した生活を送ることができているのだと思う。
主治医とはそういった共同の、もしくは敵対の闘いを積み重ねてこられたおかげで、今私は自分の治療やその結果に納得できている。
今の私の生活は他人から見たら惨めで悲惨かもしれないが、私は今の生活に大きな意義を感じ、より生きやすさと幸せを感じているのだ。
そして私はこの先もこの主治医に支えてもらいながら、淡く楽観できる現状の続きに病気の付き合い方の本当の答えがあるのだと信じていた。
しかしながら、次の主治医に今と同じような期待はできない。
主治医への過度な依存は健全ではないと思う。
主治医によって人生が大きく左右されるのは、私にとってもいいことではない。
ではせめて、薬物治療に定評のある先生か私の性格や経緯を重視してくれる先生か、私は何を目的として次の主治医を選べばいいのかはっきりさせたい。
でもよく分からない。
ただ今は私の人生レベルで重大な事態だと混乱するだけだ。
今の主治医に依存しているとは言っても、以前に比べたらとてもライトな関係になってきたはずだ。
自分でコントロールできることも増えたし、主治医にしか相談できない重いテーマも少なくなってきた。
そうやって自分をなだめてみるが、それでもなお、今の主治医でなくてはならない理由が多すぎる。
この先いつかは大きく体調を崩すときが来る。
それは恐れではなく、どんなに自己管理を徹底してもこの病気だから起こりうる仕方のないことだと思っている。
そのときに今の主治医不在では、不調をチャンスにステップアップするどころか、人生さえも後進させてしまうことになるかもしれない。
病気と闘えないかもしれない。
ただ不安しかない。
心は混乱し不安定である一方で、なんだか呆然としている状態だ。
淡く楽観していた未来が、私の中で完全に崩れた感じだ。
とりあえず来週、以前の主治医に会いに行こうと思う。
しかし片道2.5時間かけて通うその以前のクリニックに、私の探す答えはあるだろうか。
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