映画監督の鎌仲がなぜ移住して民宿✖️農業をはじめたのか_そもそも編 その3
動く英語教室
2014年5月、渡邉和美さんの提案で「動く英語教室」と名付けられプロジェクトが始動しました。
まず、いかにおよそ150万円の予算を捻出するか、という課題がありました。
当時、福島県は福島の子どもたちが県外で野外活動をするための助成金制度を新設していました。その助成金を取ろうと計画したのですが、そのためのハードルが応募資格でした。
社会教育団体というカテゴリーに入るような団体でなければ応募もできない条件がありました。加えて、旅行を取り仕切る福島県内の指定旅行代理店業者が申請する仕組みとなっており、
企画・実行団体が社会教育団体だと審査で認めらない限り、旅行代理店が申請作業に入れない仕組みとなっていました。審査にはこれまでの活動実績が必要で、新たに作られた団体では申請すらできません。
申請書は煩瑣な手続きの説明が満載で、渡邉さんと、これは助成したくないという気持ちの表れ?などと話し合ったのを覚えています。
子どもたちの小学校、あるいはPTAが主催団体になってくれるのがベスト、でした。しかし、これは断られてしまいました。
途方に暮れた私たちを助けてくれたのは当時慶應義塾大学で教鞭をとっておられた斉藤賢爾先生でした。
一般社団法人アカデミーキャンプ(https://academy-camp.org/introduction/)を主宰されており、私たちの計画を全面的に
サポートしてくださいました。
小学校の説明会にも直接、来てくださって、慶應義塾大学の先生が慶應の学生たちと子どもたちに英語を教えてくれるということで保護者は喜んで
プロジェクトに参加することを同意してくれたのです。しかも、通貨のシステムを研究している斉藤先生のアイディアでクラウドファンディングも実施することになりました。
助成金についてはなんとか斉藤先生のアカデミーキャンプの名前で申請することができました。ところが、、申請書を提出した役所から渡邉さんに電話が入り、一次審査は通ったが、2次審査は通せないと言われてしまいました。渡邉さんは自宅がある九州宮崎から急遽飛行機に乗って仙台空港まで飛び、タクシーを飛ばして役場の閉まるギリギリの時間に駆け込みました。
担当の男性が、「こんなことのためにわざわざ飛行機に乗ってきたのかい」と渡邉さんに言ったそうです。渡邉さんは「こんなことではないです。子どもたちにとって大事なことだから来たんです」と応えたそうです。
するとその担当が、申請書類を取り出して、赤字を入れ、「こうやって直せば2次も通るだろうから直しなさい」と。渡邉さんはその赤字の通り申請書を書き直して提出することができ、無事に審査を通過できたのです。
後日、渡邉さんが回想して曰く「あの当時、国や県がやることに心の中ではおかしいと思い、自分にできることをなんとかやろうとする、そんな心ある官僚がちらほらといたんだよねえ」。
心ある人は内面に葛藤を抱え、苦しんでいたのではないか、と私も想像しています。出てくる施策は本当にひどいものばかりだったけど、そこだけを見ていてはわからない、背後の人々の苦しみというのもあったのだと思うのです。
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