村カフェができるまで その2
今日は実家の土地活用について
具体的なビジョンが1つ見つかったから、
書き残しておこうと思う。
私は何年後かに「村カフェ」を実家で開きたいと思っている。
「村カフェ」とは、若者も高齢者も足を運んで、その土地の文化や歴史を交流することができるようサロン的な場所。
なんとなく浮かぶ孤独感が和らぐ居場所づくりができる場所をイメージしている。
そこで何をしたいかというと、これまで地域を支えてくれていた人たちが創り上げてきた文化をつなぎ、新たな人たちに広めていきたい。
そして、新しい未来の担い手が集まって、地域が明るく楽しい町になっていくきっかけづくりのスポットにしたい。
「村カフェ」とは飲食を提供する喫茶店というより人の集うサロン。
18世紀フランスのサロンのようなそんなイメージ。ただフランスのサロンは上流階級のもので、文化人や知識人が集まって話をしてたみたいだけど「村カフェ」は違う。
なぜなら「村」だから。もっと大衆的な、気軽に立ち止まって話が長引いちゃう「寄り合い」みたいな感じ。
でも村社会みたいに閉塞的な空間にはしたくない。
もっと開かれて流動的なサロンをつくる。
そこでやれることは、体験的なことがまずあるといい。昔に小学校でやったような竹とんぼ作りとかしめ縄づくりとか。残していきたい技術を体験的に学べる場所。
うちの近くには山がいっぱいあるから、里山の遊びなんかもじーちゃんばーちゃんから話を聞いてみたい。もしかしたらゲームをするより面白い遊びが見つかるかもしれない。
逆に若い人たちの知ってる遊びや知識を高齢者が学ぶ機会があってもいいと思う。デシダル化は田舎ほど導入が進むべきだと思うけど、じーちゃんばーちゃんは使いこなすのが難しい。
共有パソコンとか用意して、自宅に電子機器がなくてもネットスーパーで注文出来る、とか。
そんな場所になってもいいかもしれない。
あとやりたいのが、
政治について考える機会をつくること。
政治というより、
まちづくりってことかもしれない。
今住むこの町がどうなったら、よりよくなるか。
そのために何が必要か。
その中で自分ができることはなにか。
堅苦しくなく、
あーだーこーだとしゃべれる場所にしたい。
主体的に考える人が増えていくと町は活気づくのかな、なんて期待して。
いろんな妄想はふくらむ。
実現となると壁はいくつもあるだろうけど。
いつか完成させたい。
もしかしたら、すでにつくってる人がいるかも。
仲間がちょっとずつ増えるといいな。