夢見る夢子
数年前、実家に帰って、母と喧嘩したとき、部屋にこもって読みかけの本を広げました。
その時、ふと「あ、こういうことって、昔よくあったな」と思ったのです。
両親に怒られたり、両親と喧嘩すると、自室に立てこもって、夕食になっても出ていかず、ずっと本を読んでいました。私にとっての逃げ場は、読書でした。
そのずっと前、まだ自室がない頃は、階段の下の小さなスペースが私のお城でした。そこには、父が行商の人(押し売り?)から買った絵本がぎっしりと詰まった段ボール箱があったのです。
小学2年生くらいのときには、「若草物語」そして「足長おじさん」や「秘密の花園」を読んでいました。高学年になると「ジェーン・エア」や「嵐が丘」なども読んでいました。
今から考えると、なんともオマセな小学生ですよね。先日、「ジェーン・エア」の映画を機内で見たのですが、なかなか深いものがありました。小学生の私は、「ジェーン・エア」や「嵐が丘」なんて理解できていたのでしょうか?
「若草物語」から始まった私の読書歴をみた友人は「まるで夢見る夢子ね」と。
確かに。
生意気で早熟な私は、嫌なことがあると、本の世界、夢の世界に逃避していたのかもしれません。
それは、半世紀ほど経った今も変わっていないかも。
あ、読む本は変わりましたよ。中学生頃から、なぜか五木寛之の「青春の門」にハマり、そこからは迷走するように、いろいろな本を読むようになりました。