銀行口座が作れなかった思い出
昨日の夜の会食は物凄く大きな会社の社長が独立をするというお話から始まった。すでに確定しており、外部へのアナウンスもあった中でもやっぱり伝えられた時は素直に驚きました。
※写真は社長室から撮影するいつもの風景です。
人が会社を辞める理由は様々だと思うし、時には家庭の事情など、本人としても残っていたいが致し方なくというケースも多い。
少し脱線するがUUUMでも一定割合で社員は毎年何かしらの理由で卒業していくことがあります。
みんな僕に最後に挨拶に来てくれますが僕はいつもこんな感じです。
いいよ、挨拶は。またどこかで会うし。
あと番号変わらないし何かあったら連絡してきて。またね。
やめた社員に聞いてもらえればわかることですが、僕はこれを一貫してます。これを冷たい、サバサバしているかどう感じるかは人それぞれではありますが、僕からすると、以下の理由です。
たまたまUUUMという会社を一緒に過ごしてくれた時には僕が社長で、君が部下、でも環境変われば今度は取引先になるかもしれないし、やめたあとにすぐに出会うかもしれない、そしてやめる時にみんな申し訳なさそうに僕に挨拶に来ますが、申し訳ないなら辞めなきゃいいのに。と、思う僕からするとそうは言っても、もう次が決まってたりする状況で僕に挨拶に来るわけだし、そんなにセンチメンタルなお別れをしても仕方ないのでアッサリと、そして、別に自分の会社を辞めて行くからといって恨んでるわけではないし、またきっと会うし、なんなら困ったら連絡してくればいい、また機会があれば戻ってくればいい。
こんなことを考えてます。これは前職の時にスタッフが辞めて行く時からずっと変わらないですね。これからもこうだと思います。ご縁やタイミングとは不思議なもので本当にお別れをしたあと数ヶ月以内に会ったりしますし、中にはまた一緒に働くということも今までにはありました。面白いもんだなと思いますが、こんなものだと思ってます。
さて、冒頭に話を戻すと、その大きな会社の社長が40代後半で独立するということを聞き、自分にできることはもちろんサポートさせてもらうし、同時に会社設立当時のことを色々と話せました。
UUUMは今でこそ、六本木ヒルズにオフィスがあり、社員数約350名、上場企業ですという状態ですが、設立した2013年、またその前の1年間なんてほぼ何もなかったなーと昔話をしました。
何が辛かったのか?と聞かれたので、「全部」と答えました。笑
オフィスの広さは1Kみたいな部屋規模でそこに社員数4名だったので、来客の際は他の社員を全員下にあるマクドナルドに待機させることや、お昼も食べに行くお金がなかったので100円ショップ キャンドゥでパスタとソースを買ってきてもらい、それをみんなで食べてたり、夜もコンビニでチューハイとあたりめを買ってひたすら夢を語り合う。
今となってはいい時代だったと言えますが、当時は地獄で、僕は何が辛かったかというと
ベンチャーはお金がないのに時間がある
この言葉に尽きると思います。1日1件のアポの予定が、先方都合でなくなり、1日のやることが無くなる時も沢山ありました。働きたくても働けない、この気持ちとその時は無限に広がる時間との戦いでした。また、よく僕が話す辛かったエピソードの中で銀行口座が作れなかった事があります。
書いてある通りなんですが、一番最初は原宿にオフィスを構えたために近くのメガバンクに会社の口座を作りに行きました。
そしてその場で窓口の女性に必要書類を渡したのですが、ものの数分で審査は終わりました。
審査は落ちました。
個人がまだ事業がない状態で設立し銀行口座を作ろうとする、いま僕のnoteを見てる方は僕が何者かわかりますが、一般的な審査をすると、個人が口座を作り、どう使われるか不明=これは詐欺目的で口座を作るという悪徳グループとも変わりがないような判断をされました。事業、お金と合わせて社会的信頼というものがいかに大切かというのを学んだ機会でした。
繰り返しますが今となれば良い思い出ですが、当時はなかなか辛いものでした。またこんなところからスタートした会社に最初から付いてきてくれてる仲間にも本当に感謝だと思います。今となっても全員UUUMでバリバリ中核として頑張ってくれてます。
本当に夢だけを持って、むしろ夢だけしかなかったところに、人生をかけてついてきてくれた、この事だけで一生大切にしたい、守っていきたと思えるメンバーだと思います。それは今もUUUMに入社してくれる社員、所属してくれるクリエイター、関わる全ての関係者様の人生を背負っている、携わっている事を再度思い出し、頑張っていきたいと思います。
今日はちょっとしたきっかけがあったので昔話です。
せっかくなので昨日大阪で食べたランチを載せて締めますw