見出し画像

コーディネーター

 地元の商店街(大曽根商店街”オズモール”)で、芸術活動のコーディネーターを趣味でやっている。

 コーディネーターも公務員の仕事も、分解してしまうと、専門性がよく分からないなあとよく思う。特に公務員は働き方改革の流れもあり、民間の専門人材に業務委託する流れがどんどん広がっているから、「なんでもやります頑張ります」的な窓口要素も少しずつ緩和されてきている。自分の専門性や強みについて改めて見つめ直して、お任せできるところはお任せして、持続可能な運営をしていく必要がある。端的に言えば、自分の仕事やキャリアのブランディングを考えていかないと、予算は削られジリ貧になる運命ってことだ。

 それって、ビジネスの世界では当たり前のことなのかもしれないけど、僕らの世界では無縁だったし、寧ろ自分の強みや個性をアピールすることに消極的な雰囲気の現場だから、仕方ないんだよ。まあそれはそれとして。

 さて、大学生や地元のクリエイターたちは、往々として自分たちの”界隈”(=コスプレイヤー、学生団体等、価値を共有しているグループや組織)の中だけで活動を展開している為、運営の負担が特定の人物に偏っていたり、運営しているリーダーが全てを指示して動いている為、一代限りの組織となることが多い。或いは、大学の組織の場合、学生等を使った無償労働で支えられている社会貢献活動は少なくない。大抵、「就職に有利」「履歴書に書ける」という言葉を並べて、交通費支給だけで済ませてしまう。
 企業の究極目的は利潤追求だから、投資して利潤が回収できなければ、同じ土俵で話すことは難しいと感じる。

 という訳で、自分の立場を最大限活用した、コーディネーターとしての在り方を考えた。それが、”アーティスト”としての、フリーなコーディネーターだ。既存の利益集団にも、過去の取り組みにも、あらゆるシガラミから自由に活動する。

 大学生や地元のクリエイターが、例え活動や社会貢献の拠点を求めていても、地域や商店街に関わらないのは何故か?それは、関わるきっかけとなる「窓口」がなく、製作物に対する「責任」や「評価」が怖いからだ。

 クリエイティブな発想を引き出し、実現化させるためには、例え未熟で不完全だと感じるものでも、晒すことができる安心安全な場所が必要だ。ただアイデアを呟くだけの人が集まるだけでは、世の中は動かない。実際に活動する人を支える環境が必要なんだ。そして、活動を社会に還元できる仕組みをセットにすれば、存在意義を問われることもない。そんな”開かれたアトリエ”を作ることが、僕の今の目標だ。

 自分の中の小さなアーティストを、気ままに育てられる空間。
 教室とか学校とか、「ちゃんとした芸術」を習う場所じゃなくて。
 日常や趣味の枠で、「ちょっとした芸術」を披露できる、育てられる場所。SNS上にそれを見出す人も多いけど、僕は街そのものが「芸術の溜まり場」になったら、面白いと思っている。

 さて、その基盤は、僕がこの場所でアーティストとして活動することだ。
 僕が作り続けていれば、それが誰かの目に映り、
「いいなあ、私もやりたい」
「お前なんかより、おれの方がもっと上手く作れるぞ」
「僕はこれがやりたいから、この場所でできないかな」
「こんなアイデアもあるよ。うちでやってみないか」
 というクリエイティブを志向する会話が、自然に生まれたら、それでいい。今の世の中で、みんながそんな形で希望を抱いてくれたらと、明日が楽しみだと思ってくれたらと、僕は願っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?