100才と見栄
昔の祖母は、見栄っ張りだった。
そういう場面に遭遇するたびに、ホントに見栄っ張りなばあさんだな~とひそかに思っていた。
着道楽だったのも、芸能人並みにテレビに出たら二度と同じ洋服は着ないというほどではなかったにせよ、誰に会うかとか、どこに行くかとかで洋服を変えていたんだろうと想像している。
昔は洋服買ったり着たりするのが楽しみだったわたしとしても気持ちとしてわからなくはない点もあるけど。よっぽど洗濯してない汚い服着ていない限り、同じ服着てたって別に誰にも迷惑をかけてないし。もちろん毎回、同じ服だなって思う人もいるとは思うけど。もちろんそんなことを気に留めてない人もいる。だったら自分の好きにすればよい、と最近のわたしは思っている。
ある意味、見栄は他人がもっているだろうよいと言われる価値観に合わせにいっている気がして、なんだかなと個人的には負のイメージを持っていた。
たまにケアマネージャーが家に来ることがある。そういう時は、祖母はいつもよりシャキッとしている気がする。
ご飯を食べずに、だいぶ前から待っていて、いつ来るんだ? と何回も聞いてくるし。
病院に行くというと、病院にいくんだからキラキラした飾りがついているもの着ない、黒は着ない、など謎なこだわりを見せる。
あれだけ着道楽だった人が普段着るものを、あまり気にかけなくなっているというのに。
この前はワクチンを打ちに行った。
その時は、係の人や看護婦さんを前にかわいらしい100才を演じているように見える。
いつもは家でぼーっとしているけど、いつもより若干キリッとしている。
家から一歩出ると、シャンとしている。
以前はいつも家にいてたまに外に出る緊張感からくるのかなと思っていたが、ああ、見栄っ張りだからだとあるとき気が付いた。
かなり昔に、有名な高齢の俳優さんが出ている舞台を見に行ったことがある。
その俳優が舞台に出てくるときに、体を両側からお弟子さんみたいな人に支えられて出てきていた。
テレビのイメージと違って、こんなによぼよぼだったんだな、とびっくりした覚えがある。
芸能人、人前に出たら、何事もないかのようにシャキッとするんだな~と思ったのを懐かしく思い出した。
たしかに、芸能人もずっと見かける人だとキレイでい続けているけど、お見かけしなくなったなと思う人をたまにテレビなんかで見かけるとその変わりように驚くことがある。(※決してみながそのようになると言っているわけではなく、あくまで一例)
他人からの視線は、人から見られているという緊張感を生み、それが外見などを繕う理由の一つになるんだろう。
祖母も人前に出ると、生来の見栄っ張りが出てくるんだと思う。
なんせ昔、自分の着ているコートがすてきだと、店員さんが自分のことを見ていた!なんて言っていたというエピソードを聞いたことがある。
うーん、その自意識過剰はどこからくるんだ?と思ったことも。
普段は着替えるのも面倒くさいといいがちで、なだめすかして着替えさせることも多々ある。けれど、外に行く、人に会うとなったら、いつもの駄々こねはどこに? というぐらい、がぜんやる気を出してくる時がある。
(もちろん調子が悪いときもあるけれど。)
そういう意味では見栄っ張りというのも、案外長生きの秘訣なのかもしれない。
人間の性質、どこで活きてくるかわからないものだとしみじみ思った。