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私はまだ、浅瀬しか知らない。

生まれてから今までで、記憶に残っている海が、いくつかある。(正確に言えば、海は1つだけれど。)

両親が長崎県の五島列島出身だったので、子供の頃は、夏休みにはいつも、五島列島へ行って海で泳いだ。

よく行く海は2ヶ所あって、一つは、高い波が来る海水浴場。
もう一つは、母方の実家近くにある、小さい船も停まるような、かつては漁や物資の運行の為の港だったところ。

小学生の間は、両方の海で泳いでいた。
海水浴場の方は、波が強く、スリル満点で、浮き輪をして、頭から波をかぶって楽しんだ。

港の方の海は、深い緑色で、沿岸から5mほどで、すぐに深くなり、当時恐らく身長140cmほどだった私は、すぐに足がつかなくなった。潜ると魚も見えて、サザエを獲っている大人もいた。
親戚の子ども達はその海に、走って助走をつけて飛び込んでいたけれど、私にはそんな勇気がなく、いつも端っこの方にいて、足だけ浸かっていた。

中学生になり、部活や勉強が忙しくなって、五島列島の海は遠のいたけれど、高校生になると、放課後に、学校近くの海まで自転車を漕いだ。

五島列島の海に比べると、人もゴミも多く、お世辞にも綺麗な海とは言えなかったけれど、地元の若者にとっては、人気の溜まり場だった。

花火もしたし、運動会の練習もした。
友達も少なく、恋人もいなかった私は、今度は集団の端っこで、遠くに広がる海を眺めた。

人生で一番、海での思い出を作るであろう大学生時代は、初めて海外の海にも触れた。

シンガポールの海。
取り立てて特徴はないものの、こんな小さい国の海が太平洋に繋がっていくと思うと、不思議な心地がした。

香港の海。
煌めく高層ビル群が映る夜の海を、人々の喧騒の隙間から垣間見た。

社会人になって、ハワイとグアムの海も知った。穏やかで美しい海だった。

その後、もっと大きい世界に出て行きたいと思いながら、新卒で入った会社を辞めたけれど、次に就職したのは母校の大学で、毎朝、電車から見える海を眺めた。

毎日、本を読む手を止めては、季節毎に変わる海の表情を追いかけた。

そして、今年の4月。

毎朝海を眺める日々に別れを告げ、東京に来た。

生まれてから27年間、地元を離れた事が無かったから、大海原に航海に出たような気持ちだった。


東京に来て半年。

東京の街にも新しい仕事にもそこそこ慣れたけれど、今感じることは、私はまだ、浅瀬しか知らないと言うことだ。

思い切った転職は、天職に繋がる気配はなく、自分自身が何をすべきか、何なら出来るのか、分からないままだ。

東京に来て半年という事は、3月生まれの私は、次の誕生日を迎えるまで、あと約半年という事になる。

27歳も、残り半分。

色んな浅瀬で泳いでは引き揚げる事を繰り返し、そうして何かを知った気になっている人生だと思う。
大海がどんな所かは、遠くから海を眺めているだけでは分からない。

もっともっと、旅に出ていかなきゃいけない。

分かっている。

痛いほど、よく分かっているつもりだ。

たけど、次の海も浅瀬で引き揚げる事になったらどうしよう。

私が深く潜っていく海は、どこにあるのだろう。

そんなもの無いのだろうか。

分からない。浅瀬しか知らない私には、そんな事分からない。

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