次の次元へ、もう一踏ん張り。
このnoteに度々に登場しますが、
行きつけの飲食店の83歳のオーナーが、
「燃えるような恋した事ある?」
「一度は、身を焦がすような恋をした方が良いよ」
と良く言います。
「燃えるような恋」とか「夢」とか「みんなの平和」とか、そういう事を周りの人に自然に口に出せる人が、私は凄く好きです。
「燃えるような恋」
したいような、したくないような気がしますね。
「燃える」と言っても、一軒家に大放火じゃなくて、キャンプファイアーぐらいの優しくて力強い燃え方の方が良いな、と思ったり。
それで言うと私の炎は、100円ライターのようなレベルです。
何度カチカチしたって大した炎にはならないのに、「もしかしたら大きい火がつくかも」という淡い期待を込めて、親指に力を入れる。
そして、もう何度も使って寿命が近付いている気がするのに、「まだイケるかも」とずっと使い続けている。
プライベートも、今やっている仕事でもそう。
「愛着」とか「責任」とか「居心地」が未練となって、ずっと100円ライターを見つめては握り直している。
もうそろそろ、100円ライターには100円の炎しかつかないと思い知るべきだ。
(100円の缶コーヒーも、100円玉で買える温もりだけ。笑 尾崎豊の「15の夜」のあの歌詞が好き。)
100円ライターは、もうその役目を終えたはず。
捨てなくても良いから、大事に机にしまってても良いから、兎に角、新たな炎を燃やさなければいけない。
今までは新しい火をおこそうと思っても、まだまだ薪が、十分な炎を燃やすには足りない気がして、ちょこちょこと薪を取りに出掛けては、せっせと積み重ねていた。
もう薪は十分な筈だ。
後は、新しいキャンプファイアーを始めるだけ。