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「負けに不思議の負けなし」だったら認めてしまえってはなし
何事も勝負に負ければ悔しいもの。「あんなに努力したのに…」「なぜあいつには…」と思うこともあるでしょう。
なかには「自分は何をやっても…」なんて言葉もあるかの知れません。
そんな日々戦いのなか、ふと思い出します。
負けに不思議の負けなし
という言葉。
違う。そうじゃない!と思う方もいるでしょう。
そこで今回は、なぜそう思うかです。
それはなぜか。
負けたっていう現実が過ぎてしまった以上、どうしようもない。
悔いてると、好まない人間もいる。
という普通の理由からです。
もちろん原因は考えます。それこそ不思議の負けなしだから。
若かりし頃は悩みましたよ。負け戦も多かったので。
でもね。それこそドラえもんの世界。タイムマシンでもない限り、変えられないんです。過去は。
悔いがゼロなんてことはありません。あまりに負け戦が続けばシュンともなります。
それでも次へ行かないとしょうがないんです。
そう思うと、だんだん悔いは減りました。よくよく考えてみれば、原因のひとつやふたつ思い当るふしもでてきます。
すると段々、「しょうがない。負けるべくして負けたんだな」って思えるようになりました。
さらに、認めてしまって次へ行こうとすると、不思議と助け船がでてきました。
そんなに都合よくは…って思うひともいるでしょう。僕もそんなにいつもはと思っていましたが、やっぱり現れるものでした。
そこである時、助けてくれたひとに聞きました。そこで言われたのが、
「最初は考えが甘いのだと思った。負け癖がついているのかとも。でもどうやら違う。負けた事実を受け入れ、次に向かっていたからだ」と。
正直、美化されています。そんな高尚に己を見つめていたわけでもありません。持ち前の気楽な性格からです。
それでも、見ていてくれる人はいるもんだ。結果に結びつかなかった甘えがあるにもかかわらず、自分の責任として次を見せてくれるんだと思うと、とてもうれしく感じました。
その分、過酷な課題も出され、時代的に鉄拳もありました。過労でフラフラしてると根性論も説かれました。
でも甲斐あって結果がでると「ちょっと人前では…」というぐらいともに喜んでくれました。
良い機会を偶然得ただけだろうと思うかもしれません。
でもやっぱり、
負けは認めればいい。負けには不思議はない。受け入れれば前しかない。前を向いてれば自分を超えた助け舟もでる。
ということを、これからも信じたいし、信じていただきたい。
さいごに
かこつけな理由でもいいんです。誰かが言ってたからっていう理由でもいいんです。
それで笑顔でいられるなら。
負けに不思議の負けなし。認めれば未来しか見えん…