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星田宏司「日本最初の喫茶店 : 『可否茶館』の歴史 新版」
『よし、俺はあんな表面だけの欧化主義で馬鹿さわぎをしている社交場なぞとはちがった、大衆庶民や学生、青年のための"社交サロン"であり、"知識の共通の広場"となる新しい"喫茶店を開店"して、若い世代の者たちのために一旗あげてみよう』
日本最古の喫茶店、可否茶館についてはネットで知りました。知的なサロンを目指して建てられた白亜の洋館、店主は幕府の唐通詞(中国語通訳)を代々務めていた名家で育った教養人、店は上手くいかず失意のうちに渡米し生涯を閉じる。きっと時代を先取りし過ぎて理解されなかったのでしょう。当時はかなりうっとりしました。ドラマティックで最高です。
本で読むと思ったより難しい人でした。高い理想を掲げつつ正攻法ではそこに到達できず、状況を打破しようと大きく手を打って、その度に失敗しています。教員になり評価を得たが地方での暮らしに飽き足らず、社交サロンを夢見て東京で喫茶店を開いて大赤字、損失を投資で埋めようと試みて失敗、多額の借金を抱えて渡米。いつも一発逆転で解決しようとして大失敗。優れた人として慕われているのに、じっとしていられずなにかやっちゃう。遠い世界への抜け穴をいつも探している。
そこには焦りがあったようにおもいます。郭氏は病気で大学を中退し、学位を断念しました。これが彼の人生に影を落としています。名家の子息らしいエリートコースに乗る資格を失って、そこからどう生きるか。
そんな一発逆転狙いのひとつがこうして残っているのは不思議なことです。彼の夢は彼自身を幸せにしなかったけれど、コーヒーの歴史に小さい花が咲きました。夢のように後世に語り継がれる、素人が理想を詰め込んで数年で潰れた店。日本で最初の喫茶店は示唆に富んでいます。
まとめ
明治21〜25年に営業していた喫茶店「可否茶館」の開店から廃業、および店主である郭永慶の生涯について。
可否茶館を日本最古の喫茶店と位置付け、他説を検証する。
ネットでよく見かける日本最古の喫茶店についての記述は、ほぼこの本からのような気がする。元ネタ本はおさえておくとなにかと便利。
みどころは借金を背負って海外逃亡するアメリカ密航記。
店主は裕福な育ちで教養豊かで趣味も良さそうで若者に慕われているが、困難な状況に陥ると一発逆転を狙おうとする悪癖がある人。
教訓:人生うまくいかなくてもコツコツ頑張ろう。