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古ローマ聖歌覚書Ⅰ 録音の紹介

これまで何度か Twitter で Ensemble Organum 〔以下、 Ens. Organum 〕の古ローマ聖歌にかんする呟きをしてきたのですが、少し纏めておきたい気持ちがあったので、しばらく記事を投稿していこうと思います。今回はその導入として、 Ens. Organum の古ローマ聖歌の録音紹介をしていきます。


導入 グレゴリオ聖歌前史

古ローマ聖歌  Old Roman Chant とは、一般にグレゴリオ聖歌やローマ聖歌と言われる聖歌より古い時代に、主としてローマ圏の典礼で歌われた聖歌を便宜的に呼んだ学術用語です。
このレパートリーに位置づけられる著名な聖歌集としては、ヴァチカン図書館所蔵の三本の写本があり、19世紀以来、多くの学者たちの関心を集めてきました。
もっとも、これら古ローマ聖歌の発見や受容については次回以降の投稿でみていくとして、まずは実際に演奏や録音をあたってみようと思います。

比較的早く古ローマ聖歌を紹介したのが、 Ens. Organum [1]によるシリーズ「Chants De L'Eglise De Rome」です。しかも、これらは一部「グレゴリオ聖歌前史」シリーズとして日本国内盤が出ています。今回の記事では彼らの録音を年代順に一つづつ、ごく簡単ではありますが紹介することで、全体の導入としてみたいと思います。


[1] Ens. Organum は1982年に結成した、マルセル・ペレス Marcel Pérès (1956-)のディレクションによるアンサンブル。歴史学、言語学、宗教学、音楽学の学者の協力を得て活動を展開。中世フランスの音楽のほか、モサラベ聖歌、べネヴェント聖歌、アンブロジオ聖歌など異流のキリスト教音楽に光を当ててきた。近年では<精神の遺伝的暗号 les codes génétiques du spirituel >をコンセプトに、イスラム教圏の音楽との連携に基づく古代のユートピアへの憧憬と平和思想の実践に尽力する。また、アマチュア団体や子供たちへの教育普及活動も率先して行っている。

Chants De L'Eglise De Rome: Période Byzantine[1986]
グレゴリオ聖歌前史Ⅱ 古ローマ聖歌とビザンツ聖歌の出会い

1986年録音。 Ens. Organum の3枚目の録音。
本邦では「グレゴリオ聖歌前史」シリーズの2作目として1993年に国内発売されましたが、実際にはこちらがシリーズ第一作です。

Chants De L'Eglise De Rome: Période Byzantine

このアンサンブルはアキテーヌのポリフォニー[1984]でデビューを飾り、次いで初期ノートルダム楽派のポリフォニー[1985]を録音しています。そうなると次はペロタンやマショーのオルガヌムを当然想像してしまいますが、ここにきて大胆な方向転換が図られたといえます。
アンサンブルをディレクションするマルセル・ペレスや、このプロジェクトの協力者であるリクルゴス・アンゲロプロス Lykourgos Angelopoulos [1]は、古ローマ聖歌の取り組みについていくつかの証言をしています。特にアンゲロプロスは仔細に当時の状況を語っているので、彼の言葉を言葉を参照してみましょう。なお、リクルゴス・アンゲロプロスはビザンティン聖歌の権威であるサイモン・カラス Simon Karas の弟子にして、長い間 Ens. Organum に協賛した主要メンバーでした。

1984年の春、私はアテネでマルセル・ペレス〔当時は面識がなかった〕から電話を受け、「これからフランスに来る機会があれば、会ってみませんか」と言われた。彼は私と一緒に仕事をすることに非常に興味があると言ってくれました。ペレスはギリシャのビザンティン合唱団がビザンティンの旋律を解釈する方法を知っていて、私の提案、私のコメント、私の仕事のやり方が、彼の研究やグレゴリオ聖歌に関する仕事に何か貢献できるのではないかと考えていたのです。〔…中略…〕。私は彼が理論的にも実践的にも準備が整っていると感じていましたし、1982年に設立したアンサンブル・オルガヌムは完全に成熟していました。私が驚いたのは、彼が西洋の教会音楽へのアプローチと解釈において、脱皮を図ろうとしたことです。実際、西洋では口承の伝統が完全に失われ、宗教歌は叙情歌のモデルの影響を受け、音程を平準化し、装飾を排除し、声の配置を変えてきました。〔…中略…〕1985年、私は凍えるような寒さと雪の中、パリに到着しました。マルセルが空港まで迎えに来てくれ、クラヴィツィテリウムをどうにか積んだ大きな車で、当時オルガヌムの本部であったロワイモヨン修道院まで向かいました。初日の夜は、サンルイの自室で就寝したのですが、その時の感動を想像してみてください! 16年間歌い、暮らしたロワイヨモンは、私にとって魔法のような、ほとんど家族のような場所であり続けるでしょう。

Marcel Pérès, Xavier Lacavalerie.
『Le Chant De La Mémoire. Ensemble Organum (1982-2002)』.

この録音では特に Vat. lat. 5319 写本を典拠に古ローマ聖歌を演奏します。次の記事に詳述するように、ギリシャ圏で確立されたビザンティン聖歌の技法を導入するスタイルは、この時点で導入されています。
その特徴は、曲の核となる音から4度ないし5度低い音を常時持続する技法、イソクラテマの採用などから顕著に窺えます。
次に紹介する動画は、このアルバムに収録された復活祭の奉献唱である「Terra Tremuit」です。


[1] 1941-2014.ギリシャの音楽家。国立音楽学校で著名な音楽学者シモン・カラスに師事し、ビザンティン音楽を学ぶ。アテネの古代聖イレーネ大聖堂の protopsaltis(第一カントル)を務めた。ギリシャ・ビザンティン合唱団を創設し、アテネ大司教区のビザンティン児童合唱団の指導にも尽力した。1994年、エキュメニカル総主教バルトロメオ1世より、"archonprotopsaltis "を授与された。


Chants De L'Eglise:  Milanaise[1989]
グレゴリオ聖歌前史Ⅲ アンブロジオ聖歌

表題のとおり、このアルバムはアンブロジオ聖歌をテーマにしています。ですが、Ens. Organum はここにも古ローマ聖歌への演奏アプローチと共通した解釈を導入しているので、看過しがたい存在といえます。

Chants De L'Eglise:  Milanaise

アンブロジオ聖歌は聖アンブロジウスに由来する伝説をもった聖歌。ルネサンス期にかなり改変されたようですが、伝説を信じるならば歴史的には4世紀まで遡れます。聖アンブロジウスは東方教父たち、すなわちギリシア圏の思想家たちを敬愛していたようで、アンブロジオ聖歌の創作にもこうした東方への憧憬があったと言われています。そのため、聖歌の復古に際し、 Ens. Organum は古ローマ聖歌の復演と共通するようなアプローチをもって、アンブロジオ聖歌を特集しています。
なお、日本では「グレゴリオ聖歌前史Ⅲ アンブロジオ聖歌」として1993年に発売されています。

Chants De L'église De Rome:  Messe De Saint Marcel[1992]
グレゴリオ聖歌前史Ⅰ 古ローマ聖歌復元の試み

1991年に発売された「Chants De L'église De Rome」の三作目。日本ではこちらがシリーズ1作目として発売されました。

Chants De L'église De Rome:  Messe De Saint Marcel

Chants De L'Eglise De Rome: Période Byzantine と同様、Vat. lat. 5319 などの写本を手掛かりに演奏されます。ただ、今回は「聖金曜日の十字架の崇敬」と「聖マルチェルスのミサ」をテーマにしています。
曲目としてはユダヤ教にまで起源が遡れるというトリサギオンや、ビザンティン聖歌起源と論じられた歴史もあるアレルヤ唱などが歌われ、示唆に富んだ内容になっています。

ところで、かつてグラモフォンはこのアルバムについて、次のようなレヴューを寄せています。

このアンサンブルは、必要とされる声の出し方について何年も実験しており、7年前よりも滑らかで均一な歌唱スタイルで流暢に歌うことに成功した。それは、古ローマ聖歌と、その後に発展したグレゴリオ聖歌との親和性を明示するものであり、それ自体大変興味深いレパートリーが選択されている。

17th & 18th Century Chants of the Roman Church.[1]

私も上記のレヴューの言わんとするところがよくわかります。1986年に発売された Chants De L'Eglise De Rome: Période Byzantine の声はやや硬質で、それはそれで味わい深いものがあるのですが、今回のこの録音では流石にスタイルに深みが増したように思われます。
次の動画は聖マルチェルスのミサから、アレルヤ唱「我は我の選びたる者と契約を結べり  /  我はダヴィデの」。独唱を務めるのはペレスとジョセフ・カブレ。堅固な歌声が魅力的です。


なお、このアレルヤは古ローマ聖歌を考えるうえで重要な曲となりますので、一聴をお勧めします。


[1] レヴュー表題の「17th & 18th」は「7th & 8th」の誤殖。 



Chants De L'Église De Rome: Vêpres Du Jour De Pâques[1998]
復活祭の晩課

さて、ここからは国内盤未発売の録音になります。
ちなみに、「Chants De L'Église De Rome」シリーズの完全なアルバムとしては唯一サブスクリプションされてます。

Vêpres Du Jour De Pâques

表題の通り、復活祭の晩課を中心に構成されます。出典写本は例によって Vat. lat. 5319 写本ですが、新規の演奏者が登場する点、それから豊富なアレルヤ唱への注目は特徴的です〔全曲目の半数近くにアレルヤが歌われます!〕.この点について、ペレスは次のように述べてます。少し長くなってしまいますが、アルバムの性格を示す大切な文章ですので引用します。

これらのアレルヤは非常に象徴的な意味を持っており、典礼に携わる人々の精神に様々な意味合いを吹き込み、歓喜に満ちた思索の飛行を誘発する。いくつかの曲は1年の間に何度も歌われる。このような曲の配置は恣意的なものではなく、それぞれの典礼の季節の間にある神秘的なつながりを明らかにするためのものであった。最初の Alleluia である Dominus regnavit は、クリスマスの明け方のミサで初めて歌われ、クリスマス後の最初の日曜日に2回目が歌われた。
アレルヤ Pascha nostrum は、復活祭の日曜日の早禱で、福音宣教の直前に歌われた。Alleluia O Kyrios は、降誕節のミサの Alleluia の旋律と明け方のミサの Alleluia の詞章、つまり最初の Alleluia の節で既に聞かれた言葉が、今回はギリシャ語で歌われているのである。13世紀まで、ローマの典礼は、特に厳粛な行事のために、ギリシャ語の礼拝の名残を残していた。例えば、復活祭の後の週の各日の晩餐会では、ギリシャ語の詩が書かれた別のアレルヤが演奏された。ローマ典礼がギリシャ語で歌われ、6世紀以降に徐々にラテン語に翻訳されていった時代の遺物がここにある。

Chants De L'Église De Rome: Vêpres Du Jour De Pâques.
ライナーノーツ.ただし、英訳から和訳したもの.

また、次回の記事でも言及しますが、ここにきてペレスは〈basilican organum〉という用語を用い、ビザンティン聖歌の技法とは異なるコンテクストを用意してアプローチを迫っています。

Chant De L'Église De Rome VIe - XIIIe Siècles:  Incarnatio Verbi[2008]
言葉の受肉

2000年代の録音になります。こちらも国内未発売。たまに国内オークションで見かけますが、結構高騰している印象。Amazon でも一時は3万円もしてましたが、今は少し落ち着いて1万円程度。〔ジャケットが気になる〕

「言葉の受肉」。すなわちイエスのことですが、ここで取り上げられるのは、特に降誕前夜と降誕のミサです。
さらに、本アルバムの出典写本は Cod. Bodmer 74 という古ローマ聖歌の写本で、知られる限りでは世界最古の古ローマ聖歌写本にして、このアルバムが歴史上初の録音となります。ここでもペレスは〈basilican organum〉を援用し、解説で演奏上のアプローチを紹介しています。
なお、このアルバムにはリクルゴス・アンゲロプロスやマルコム・ボスウェル Malcolm Bothwell といった1986年の録音以来のメンバーのほか、コルシカ島のポリフォニーのプロフェッショナルとして知られるジャン=エティエンヌ・ランジャンニ Jean Etienne Langianni 、ビザンティン聖歌の歌手 フレデリック・タヴェルニエ・ヴェラス Frédéric Tavernier-Vellas なども起用されています。そのため、最初期の古ローマ聖歌の録音とはまた違う雰囲気で演奏を楽しむことができるといえるでしょう。

また、解説の冒頭で教会暦と天体にかんする面白い蘊蓄を教えてくれているので、ライナーノーツも読みごたえがあって充分です。写本の図版も挿入されています。
次の曲は、降誕節のミサのアレルヤ唱「Dies sanctificatus」です。



小結

今回の記事では Ens. Organum による古ローマ聖歌の録音を紹介し、どのような性格の音楽なのか、どのようなアプローチで演奏されてきたのかを紹介してきました。
実は、Ens. Organum が想定してきたようなビザンティン聖歌と古ローマ聖歌の関与は、今日では殆ど否定的にみる学説が有力なようです。
しかしながら、そのアプローチが採用された背景には19世紀以来の研究者たちの議論や、古い史料の参照と言った事情が関係しています。また、こうしたジャンルの音楽を世に送り出したという点だけでも、個人的には彼らの演奏は充分に高い価値を誇ると思います。むしろ、古代の音楽はこのように演奏されていたかも知れない、という可能性を学術的な根拠と共に示し、しかも審美的にも優れた演奏を聴かせてくれるのは、実に有難いことだと思います。
そういうわけで、次回以降は19世紀から近年までの古ローマ聖歌における研究史を概観し、これを踏まえて Ens. Organum の録音を改めて聴いてみようと思います。
また、その次には古ローマ聖歌の曲目のなかでも注目されてきた、あるアレルヤ唱の検討、それから Ens. Organum 以外の録音の紹介もおこなっていく予定です。ちなみに、Ens. Organum の録音ではたびたび同じ教会のモザイク画がジャケットになっていたのですが、皆さんお気づきになりましたか? こういった話題で記事を継続していこうと考えています。

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