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天に召されていく香りたち
ボタニカルに特化した考察ではあるかもしれないですが、植物そのものも、香りだけになったその状態でもカタチが似ているような気がする。
では、みかんは丸いからみかんの香りは丸いのか?ということではなく、みかんの油包から飛び出すあの状態はみかんの香りそのもの。
皮を曲げて手で挟み、強く押すと鋭いスプレーのようにシュッとオイルが飛び出てくる。柑橘の香りとはまさにそんな印象を受けるのではないだろうか。
そして、それらは初めは刺さるような印象から徐々に丸いけれど爽やかな印象の香りに変化して徐々に霧散し空に消え去っていってしまう。
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タイムというハーブがある。
シソ科の小さな細かい葉と花が無数にリズムを刻みながら生い茂っている。
ヒマラヤ山中で野生のタイムに出会ったときに感じたことなのだがあの地を這うように伸び一株だけれど密集して生えてるあの姿は小さくとも凄まじい生命力を感じる。
観察をするとよくわかるがあの小さき植物の元の根元の杢化した部分の強靭な部位、そして四肢のように伸びた枝から更に地面へと伸びる気根。
途中で野生動物に食べられたりしてリードを失ったとしてもそのクローンは生き続けることができる。
その枝をひと枝そっと折りとって香りを嗅ぐとその繊細な香りのレイヤーと力強い大地の香りが混在し、次第にのぶとい香りの中心部分がいつまでも手と鼻腔に居続ける。あのように小さな植物のどこにこのような力があるのかと思う程の香りの存在感だ。
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その植物達から熱と蒸気を使って香りを拝借するのが私の仕事ですが、とてもあの生の植物の香りを完全にボディから切り取ることは不可能であると知っている。
面白くない技術的なことを言えば油溶性の成分と水溶性の成分、または熱で壊れてしまうものがあるのでこれは当然の話し。
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これはドライにした場合も全く同じで『腐らないからそのままずっと保つ』なんて有り得なくて芳香成分はその身体からどんどん離れていく。勿論腐って変化するのとは全く異なる香りの変化である。
神智学では香りはアストラル体に宿るとされている。
栽培、野生生育、園芸種、野生種を地面から生えている状態、切り取った状態、乾かした状態、アロマにした状態、料理として刻んだり、時には山椒のように叩いたりして色々な状態で香りを観察するとその意見に対して反対しなくなる。
フワフワしたスピリチュアル系の人たちの意見だとは微塵も思わなくなる。
すなわち香りとは生き物に宿る生命力そのものであり、生きている間もまた生命維持機能が失われてからも徐々に天に召されていくものだと考えている。